パンドラの箱―――未知のメカニズム
2004年・箱罠導入による大量捕獲の翌年、調査をするのも悲しくなるほどヒグマの痕跡がさっぱりなくなったある沢沿いにクマの痕跡が戻って来たのは、2年後の2006年初夏。荒太郎と呼んだこの若グマは、追い払ってもたびたび道沿いのアリの巣目当てに現れ、結果、若グマ忌避教育の第1号となった記念すべき個体だ。このクマに張り付いて調査をし始めてすぐ、荒太郎より1歳年下と思える真っ黒でコロコロ太った若グマを同じ斜面で確認したかと思うと、立て続けに沢沿いに2qほど下ったところで、もう一頭の若い個体を感知した。沢沿いのまばゆいばかりのフキの群生がきれいに残った前年から、再びクマの派手な食痕で賑わしくなった。クマが戻ったのはいいことだが、この沢沿いに観察したことが、すべての予兆だった。
私は安堵のような急かされるような不思議な気持ちで朝から晩まで節操なく山を這いずり回って調査に明け暮れたが、歩けば歩くほど、それは不安と焦燥に変わっていった。私の知らないヒグマ社会のメカニズムが、沢となく斜面となく、あちらこちらで若グマを増やしているように感じられた。
この年、特に目的もなく調査エリアの中心に位置する「いこいの森」内に侵入する若グマが2個体現れたが、これもまた一つの予兆だった。
「後手を踏んだ」
苦い顔で漠然とそう思った。
それにしても、これらの若い個体はどこから来たのか?地面から湧いて出るわけではなかろう。詳しい調査ができなかったが、人里周りの私の調査エリアの一歩外に、比較的ヒグマの活動が閑散とした空間があることに気がついた。恐らく、荒太郎らの一部の出身エリアはここなのだろう。そして彼らの新天地には、エサ場・休憩場所など若グマにとって有利な条件が揃っているのだと思う。
二段構えの増加
ヒグマの防除対策が皆無のこのエリアでは、山の実の豊凶にかかわらずデントコーンで十分な食い溜めがおこなわれ、増えた若グマのうちメス熊は順調に子を産んで新たに第2世代の若グマを産出していると観察される。第2世代どころか、2006年の若グマ増加開始からすると、第3〜第4世代まで進みつつのではないかとさえ推測できる。2011年、キャンプ場から2q以内で把握できた親子連れが3組、2012年には5q以内で6組の親子連れを把握したが、うち当歳子連れが4組。これだけで、2012年生まれの同期の仔熊が8頭ほど存在することになる。北海道における「普通の」繁殖率というのを知らないが、把握漏れを含めると、この数字はいささか多すぎるように感じる。そしてまた、若グマ増加の中で生じている繁殖のため、ほとんどの母グマが若い個体と思えた。
断片的な状況証拠しか揃えられず歯がゆいが、まず、このエリアのヒグマの生産性は高いと言えるだろう。つまり、防除が遅れ、ヒトや人里への警戒心をクマに抱かせられず、なおかつ無闇な捕獲をおこなって若グマにとって有利な空間を人里周りに空けてしまうと、第1段階として周辺から若グマ・メス熊が移動して来て数を増やし、さらに2〜3年後からは、増えた若グマたちが順当に繁殖をおこなって、結果、二段構えで人里周りの局所的な若グマの増加が起きてしまうのではいか。
ここで。ヒグマの繁殖に関して二つの仮説が前提としてある。
1.食い溜めの状況が着床成功率に影響する
2.上記の「若グマるつぼ」状態では、初出産年齢が早まる
もちろん立証は科学者にお任せするしかないが、この二つを考え含めないと、この山の調査で得られた事実をどうにもうまく説明できない。
人里周りの若グマの局所的増加のメカニズムは?
問題は、どうしてこのような「若グマのるつぼ」が人里周りにできあがってしまったかということだが、「クマが急激に増えた」「激増した」と慌てたハンター・鳥獣行政は、短絡的に「クマを獲らないからだ」と結論を言い、当然の流れで2007年以降「もっと獲れ」のスタンスに傾いた。そして、罠が利かないtrap-shyグマが増える中、さらに箱罠を年々増やしてフル稼働させつつ、2008年前後まで、シカ駆除で林道を流す駆除ハンターが国有林で偶然見かけたヒグマに対し区別なく発砲するという、現代では不可解なヒグマ駆除までたびたび起きた。
ところが、そういった駆除の根拠になっている「クマを獲らないから増えた」という論は、まったく論拠を欠き、丸瀬布における過去に渡るヒグマの捕獲数を分析すると、むしろ逆の結論しか導けなかった。
過去30年間(1982年〜2011年)の丸瀬布におけるヒグマ捕獲数(道庁データ)をグラフにするとわかりやすいが、転機は二度ある。1度目は1990年の春グマ駆除廃止。2度目は2004年の箱罠導入によるヒグマの大量捕獲。通常、春グマ駆除廃止でヒグマの年間捕獲数は減るところだが、丸瀬布では逆に増加した。春グマ駆除廃止前の数年間0〜1頭捕獲だったものが、廃止と同時に2〜6頭に倍増している。この逆変化の理由がつかめていないが、ただ、90年以降もヒグマの目撃が皆無に近く、農業被害も低いレベルで安定していたことから、その捕獲数でそれなりに安定したヒグマの生息数と社会構造(配置や年齢構成)が保たれていたように思う。
【丸瀬布における過去30年間のヒグマ捕獲数変移(1982年〜2011年)】
そして問題の2004年。局所的エリアで11頭のヒグマが捕獲されたが、これがパンドラの箱だった。翌05年には、絶対数が減ったことと、罠にかからない個体が選別され生き残ったことが起因して、箱罠による捕獲数がガクンと落ちた。ところが、翌2006年、キャンプ場から半径5qのエリアで、人知れず若グマが増加に転じていた。その影響が人里に顕著に現れ始めたのが翌2007年。農地被害の件数・被害額・目撃数・遭遇数交通事故数すべて増加し、実際に降里・降農地ヒグマの数が増えているように観察された。その後、捕獲数を除くすべての事象に関して、過去30年間に見られなかった高い水準で増加傾向を伴い2012年まで推移している。
※1 上のグラフ上オレンジの折れ線グラフは、前後の年と合わせた平均的な捕獲数。年によって多かったり少なかったりはあるが、だいたいオレンジの帯の範囲内に平均的捕獲数が収まる。90年以降、この帯は3〜5頭の幅を持つが、過去20年、問題の2004年と翌2005年を除き、年間捕獲数がこの帯から±1頭を越えて外れたことはない。
※2 農業被害額は2004年以降総じて増加の一途をたどるが、この額は農家・農協の曖昧な言い値で信頼に足らないため、ここではデータを示さない。
このグラフ上、2004年を境にしたヒグマ捕獲数データをどう読み解くかが問題になる。単純に、「捕獲数にさしたる変化はないから、クマの数や年齢構成に変化がない」とは、残念ながらとれない。そこにtrap-shy(トラップシャイ)が絡む。trap-shyとは、直訳すれば「罠への警戒」、野生動物が何らかの理由で罠を警戒して、罠が利かない、あるいは利きづらくなる状態で、先天的・後天的両方の原因が考えられるが、高知能なヒグマの場合、経験と学習でtrap-shyが発現する傾向が強いと考えられ、実際の調査・観察でもそのような結果が得られている。
ヒメネズミの実験でも、箱罠(ネズミ取り)をかけ続けることによって、かけてから最初の1匹が捕獲されるまでの時間が延びていく。そして、ほかのエサを周辺に放置しておいた場合、当初、罠をかけて3時間以内に捕獲できたヒメネズミが、最終的に一週間経っても獲れない状況も生まれる。ヒグマの会では「ワナ回避」というそうだが、ここではその行為ではなくヒグマの性質として表現したいので、記号的にそのまま「trap-shy」と表記する。
2004年以降、丸瀬布においてtrap-shyグマは、まず確実に増加傾向にある。そして、このエリアでは箱罠への依存度が高い。つまり、このグラフに示されている捕獲個体のほとんどは、「罠にかかるヒグマのうち何頭捕獲されたか」というデータなのだ。trap-shyにかかったヒグマは、このグラフにはほとんど現れていない。trap-shyにまだかかっていない不注意な若グマが捕獲されるケースが圧倒的に多く、次いで秋には大規模な移動をしてきた奥山の大型オス成獣がかかることもあるが、その多くがいわゆる「冤罪グマ」であるとも考えられる。
以上からこの捕獲数グラフからは読み解けば、2004年以降、降里・降農地ヒグマの数は増え続けていると結論できるが、現場での調査からも、およそそれを肯定する結果が出ている。つまり、箱罠に仕掛けられる誘因餌(シカ死骸)が広範囲にヒグマを人里・農地に引き寄せ、被害に関係のない不用心な個体をおもに捕獲しつつ、農地に降りるクマをむしろ増やしている。一方で、山奥へ入って根拠ナシのテロ的射殺がおこなわれているため、両者を合わせれば捕獲数自体はそれなりにあるが、被害は解消どころか増え続けている。このカラクリを含めて捉えなくてはいけない。
リンク:若グマの増加
「(2006年以降)何故人里周りにクマが急に増えたか?」という問いに対し、「獲らないからだ」というのは、少なくともこの山塊の麓の町周辺では成り立たない。この捕獲数推移を論理的に読み解けば、むしろ「(無闇に)獲り過ぎたから」と結論せざるを得ない。
はたしてそんなことが起こりうるのだろうか?
私自身疑念を抱きつつ2006年から調査や若グマの追い払いをおこなってきたが、若グマ増加のメカニズムの仮説が信憑性を帯びてきたのが2008年。調査エリア内に親子連れのクマが4組ほど感知された年だった。それを機に、2008年以降は「いこいの森」周辺に調査エリアを縮小し、集中的にそこのヒグマの動向を追った。観光エリア内のあるデントコーン農地に3〜4頭降りていたヒグマが、2010年に7頭を数え、2011・2012年には仔熊3頭を含めて15頭前後にのぼり、そのすべてが5歳未満のクマであると推測された。この状態をもって、私は「若グマのるつぼ」と表現している。
ただし、誤解してならないのは、この急な増加があくまで人里周りの局所的増加であるということだ。行政の収集できるヒグマの情報はほとんど人里周りに限られ、ハンターも、奥山の大型オス成獣を追って山を歩き回るようなことがなくなったため、結局、得られる情報が人里周りでうろちょろしている特に若グマに偏る。行政・ハンターが「クマが急激に増えた」「最近クマの行動がおかしい」といくら真顔で言っても、それは山塊全体のことではなく、あくまで人里周りのいわゆる里山の出来事だ。そして、人里周りでヒグマの年齢の若返りが起きているのだから、高精度に調査しなければ、当然実数以上に見かけの数は増えたように見える。
私はここに住居を定めた2000年以前にも1985年から毎年ひと月ほどヒグマの活動時期にこの山塊を歩き回ってきたが、特にヒグマの調査に本腰を入れた2005以降の8年間、いくつかの沢沿いにおこなってきた稜線筋までのヒグマの調査では、奥山のヒグマの活動数は変化なし、もしくは「微増」もしくは「ゆらぎの範囲」でしかない。さらに言うならば、「ヒグマの行動がおかしい」のではなく、彼らの知りうる里山の範囲内で若返りが起きて、経験の浅い無警戒なクマが増えたのだから、そう見えるのも自然な成り行きだ。こういうレベルの事実認識を欠いて、気分や因習でヒグマ対策=捕獲をおこなっているようでは、延々被害解消はおぼつかない。
「若グマのるつぼ」化で起きる現象と解消方向は?
さて、ここに見る「若グマの増加」のもたらす影響は、要素を二つに分けて考える必要がある。つまり、ヒグマの数の増加と若返りだが、これらはヒグマの社会力学上連動していて、数の増加からは、比較的単純に農地の被害額・被害件数、そして人里周りの痕跡数の増加が現れる。そして、若返りからは、目撃数・近距離遭遇数そして人里内の痕跡数・市街地出没数の増加が現れる。前者は、どちらかといえば経済被害、後者は、人里および周辺の、不特定多数のヒトの人身被害の危険性につながっている。
若グマは凶悪グマ・異常グマとはかけ離れた無知で無邪気で好奇心ばかり旺盛なヒグマだが、その無警戒・軽率が時としてヒトとの悶着につながる。若グマ増加の始まったと考えられる当初の2006・2007年には、調査中の私に意図的に近づく若グマが3頭ずつ現れ、時期を同じくして一般人の目撃やバッタリ遭遇も増えた。
もし仮に「獲ったから増えた」とすれば、このまま観察も判断もない刹那的な捕獲をいくら続けても、この状態に解消のめどは立たないだろう。逆に、この状態で農地の被害や人里・市街地出没を抑えるとすれば、非致死的な制御が必要となるはずだ。多種多様な手法を導入し増えた若グマがそれぞれ成獣となりヒグマらしい警戒心を抱くように教育制御する方向、つまり、ヒグマを「どう殺すか」ではなく「どう生かすか」に意識と対策をシフトするしかないのではないか。これが私の結論であり、その具象化がここに示す幾つかの方法ということになる。(岩井基樹)
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