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若グマの増加

 遠軽町・丸瀬布(旧・丸瀬布町)では、箱罠の本格導入の2004年の大量捕殺があって以来、春グマ駆除の時代を通して比較的安定していたと思われるヒグマの活動状況に比較的急な変化が現れ、2年後の2006年には人里周りで局所的な若グマ増加が確認された。その後、行政は箱罠を3倍に増やすなどしてヒグマの捕獲圧を強めたが、銃器による人里周りの山林の捕獲を加えても、その増加傾向と経済被害の拡大を止められないばかりか、ヒグマの人活動域への出没・目撃・遭遇、そして市街地周辺への出没のいずれの件数も増加した。また、過去にあまり起きなかった道道・国道・自動車道あるいはJR路線でのヒグマとの衝突事故も、ここ数年は1〜3件生じるようになり、毎年確認できる親子連れの数から単純に考えても、増加傾向は緩やかにはなっていないように思う。

 あるアウトドアレジャーエリアの中央に道道に沿った細長いデントコーン農地がある。そこは対ヒグマの防除が施されていない農地だが、そこに8月末〜9月に降りるヒグマの数は2010〜2012年、最低値で7-15-15(仔熊3頭を含む)となっている。最低という言い方は、おもに前掌幅から個体識別をおこなってるため、同一の前掌幅をもつ個体があった場合、複数を感知し得ないからだ。
 2010年9月に開始した「石灰まき」によって、それまでファジーだったことが明瞭に見えるようになった。2011・2012年には、ヒグマ出没で閉鎖されたアスファルト町道500mの中央約300m区間にヒグマの足跡が不明瞭なものも含め2500〜3000ほど残されたが、それぞれの足跡列から原則左右一対ずつ選んだ前掌幅サンプルでここの往来個体数を推定している。

2011年の調査データと考察
 2011年の数94をグラフにしたものが下図だ。オレンジ色が西側で往き来するヒグマ、赤が東側からの降農地グマ。これらの足跡の90%は石灰をまいてアスファルト上で採取したので、ある程度正確にデータは取れていると思う。(算出誤差は1o以内。これは一つの足跡列で幾つものサンプルをとり確認。計測方向の誤差を合わせても最大2oだろう) 残りの10%は雨後、できる限り明瞭な土の足跡をアスファルト上で採取撮影したが、若干精度は落ちる。
 これらのデータから、現認・移動ルート・行動パタン・追い払い時の反応などを加味して、ざっと数字を出してみたい。

2011年データ
※サンプリング2011年8月28日〜9月11日/閉鎖された町道約300m区間/有効サンプル数:94

集団A.7.5〜8.9pの個体は当歳子で1+2=3頭。2頭の母グマも若い(いずれも前掌幅11p前後)。
集団B.10〜12.4pの集団に、上記母グマ2頭と単独の若グマ2〜4頭が含まれる。
集団C.13.4〜15.3pに、単独の若グマ4頭が含まれると推定される。
 小計11〜13頭のうち3頭に対して「追い払い」をおこない(4回)、また、集団Cの2頭に対しては、センサーカメラで撮影。うち1頭は追い払いを二度おこなったオス若グマ。
 このほかに西側から道道を横断しての進入個体が2〜3頭と推測されるが(オレンジ色)、グラフより、これらの個体は東側の調査町道には抜けず、概ねデントコーン農地内でUターンし西側で往き来していると考えられる。東側・西側からの降農地個体を合わせて合計で13〜16頭という計算になる。移動経路や行動パタンを考え合わせ、おおむね15頭と考えられる。
 性比についてははっきりしないが、全体として偏りは感知できない。
 2011年は台風崩れの温帯低気圧の影響で農地沿いの河川がしばらく大増水し、渡れない個体が河川と平行に歩き回るなど動向を変えたため、一時的にこの区間に足跡を残した個体の可能性も考えられる。

 2008年からの同じエリアの調査を合わせると、推定個体のミニマムがおよそ4頭・4頭・7頭・15頭・15頭と変化していて、少なくともこの調査エリアでは、特に若グマの降里個体が増加していると考えられる。
 また、2008年・2009年の把握個体4頭は、数字的には偶然同じだが、個体の半分(2頭)は、より若い個体に入れ替わっている。このエリアでは、ある年に降りていた個体に、翌年新しい個体が加算されるのではなく、年長個体から出没が消え、その代わりに親離れ年と見られる新しい個体が加わるという入れ替わりが起きているが、オスに関しては、4歳程度を最後にここから活動をほかへ移すと考えている。

 2004年以前には、同農地に対して、前掌幅17p・20pのオス成獣が降りていることが確認されたが、近年は、17p以上の個体が確認されない。最大前掌幅は、2009年16.0p、2010年14.8p、2011年15.3pと、いずれも若オスのものと考えられる。メスに関しては、仔熊を連れていればメスと断定するが、10p前半の個体を1歳メスと推定するほかは、あまり確かな推定材料がない。


補足)前掌幅の空白が語ること
 このグラフで見逃してはいけない点は、空白の前掌幅が存在することだ。9p台、そして13p前後のクマが見られない。9p台がいないのは、秋に当歳子がだいたい8〜9pにまとまり、1歳の個体はオスでもメスでも10p以上に前掌幅を成長させてしまうことが多いからと考えられる。問題は13p前後がほぼ空白となっていること。この山塊で広く調査をすると、最も数が多い前掌幅が13p〜15p程度で、成獣メスに限っていえば13±1pというのがボリュームゾーンだろう。その13p前後がこの周辺に降りていないということはどういうことなのか?
 経験則からすれば、メスは往々にしてオスより心理的成熟が早く、通常はいつまでも「無知で無邪気で好奇心旺盛」を続けない。概して大人のクマとしての警戒心がオス若グマより早く起動すると考えられるが、それは若いオスの好奇心の強さの裏がえしとも感じられる。若グマ後期(3〜5歳くらい)に、順調にいけばオスは分散行動に移り、メスは子育てに入る。その性による役割の違いが、好奇心と警戒心の違いに通じていると推測はできる。じつは、このアウトドアレジャーエリアは夏の集客力12万人以上のキャンプ場があり夏期に賑わっていることに加え、近年、ちょうどヒグマがデントコーンの様子を見に降りる7月下旬〜8月上旬に毎年観光祭り・花火大会が盛大に行われたりもする。そういう諸々の人間活動で、前掌幅13p以上のメス熊はこのエリアのデントコーン農地を敬遠している、そうとれば理路は整然とする。この推測が正しいなら、集団Cの個体にメスはいないと考えるのも自然だろう。とすれば、集団Cの個体はすべてオス若グマで年齢は3〜4歳、集団Bのメス若グマの年齢は1〜3歳と考えることもできるように思う。

 集団Cの個体がすべてオス若グマであるという推定の後押しとしては、次のような論もある。
 このエリアの農地のほとんどがヒグマに対しての防除を施していないため、メス熊は人為物で食い溜めを十分にできる傾向にある。また前年2010年は山が豊作で、コクワ、マタタビ、ヤマブドウなどの木の実のなりがよく、シカの回収不能個体(手負い死骸)も慢性的に多いなど、どの条件から考えても交尾に成功したメスは着床が順調におこなわれた可能性が高い。と同時に、このエリアでは2006年から若グマ増加が起こっており、交尾可能な個体はオス・メスともに豊富であることから、交尾も順調におこなわれた可能性が高い。
 2010年にはこのエリアに親子連れがなく、9月下旬に当歳子と思われる単独個体が1頭、西側から入ってきただけだ。7頭の降里個体のうち、3頭を翌年出産可能なメス熊と仮定し、2011年には3組の若い母グマの親子(たぶん初出産)がこのエリアに降りるとファジーに予測した。実際に2組がこのエリアに降りてきたが、母グマの年齢は予測通り若い。何もかも未熟な初出産組がこれだけ順調に交尾・着床・出産をおこなっていることから、いい年頃のメスが交尾・着床・出産・子育てのいずれかの段階で失敗して子を持てていないということは、ちょっと考えにくい。そういう母グマがこの季節に単独行動をとっている一つの可能性は、若い母グマにありがちな「早期親離れ」がおこなわれ、つまり、当歳子を9月の段階で親から離してしまう可能性だが、それにしては、当歳子の単独個体がまったくこのエリアで感知できないのも不自然だ。
※ただし、このタイプの単独当歳子をどう呼んでいいかは若干迷う。科学者の説によれば親離れは1歳4ヵ月程度からとされているらしく、単に親からはぐれて単独行動をとっているだけなのかも知れない。そのあたりの事実がわからないので、ここでは、安定して他の若グマ同様の活動をしている単独当歳子は、親離れした個体という認識で書いている。
 
 このグラフの前掌幅分布は、年によってサンプル数こそ異なるが、パターンは同一である。仔熊の有無をのぞけば、どの年も集団A・B・Cに分かれ、その分布も概ね2011年グラフを踏襲する。
 このエリアではデントコーン農地に降りる個体を若グマが増える前兆を見せた2006年から調べてきたが、降りるヒグマはほぼすべて若グマで、それらの個体が捕殺されてもされなくても、年が変わると若グマの入れ替わりが見られる。また、概ね4歳〜5歳に至るとこのエリアへの降里・降農地がなくなる。代わりに、また1歳・2歳の新参の若グマが降りてくるということの繰り返しなのだ。
 そこで、2008年からは、この若グマの一部に対し「追い払い」をおこないつつ、降里数・年齢構成・性比・性格にどういう変化があるかに焦点を絞って調査をおこなってきた。こうして若グマが局所的に増えたエリアで、どのような対策が最も合理的か。単にその年の対策ではなく、最低でも数年のスパンでどういった方向性がこの状況を解消に向かわせ得るか。それを実証的に見定めるためである。調査をしながら「追い払い」という人為的な働きかけをするのは、通常の研究からすれば掟破りで、本来のヒグマの性質が見えにくくなる。しかし、人里の現場では、特に人身被害の対策をとりながらの観察にならざるを得ない。


 以上の状況から、この局所的エリアは、特に若い個体の「秋の幼稚園」あるいは「若グマのるつぼ」のような様相を呈していると表現もできる。成獣のクマにとっての「有利」に「ヒトの活動が疎」という要素が大きく働いているのに対し、若グマの有利不利に、少なくともこのエリアでは、ヒトの活動はさほど影響しない。それは2011年秋、ここに現れた二頭の若い母グマにも言え、「母グマは警戒心が強い」という定説をこの二頭は見事に裏切っている。キャンプ場から100m地点に午前中にまいた石灰に午後には仔熊共々足跡を残すなど、母グマでありながら、若グマの行動パタンの特徴を色濃く残していた。ヒトと遭遇した際に、すべてのクマが「慌てて逃げ去る」あるいは「立ち上がり様子を見てから逃げ去る」という行動形態を示しているので、いわゆる新世代ベアーズとは言えないが、若グマ特有の無警戒・軽率は大いに見られる。

 2頭のヤンママグマに育てられた今年(2011年)の仔熊3頭は、順調に親離れすれば2012年には若グマと呼び名を変えるが、この若い3頭の行動ぶりは今から目に浮かぶようだ。もちろん、ヤンママからの無警戒の伝承はヒトとクマにとって好ましくないので、来年度の追い払いターゲットの筆頭格となる。
 同じく要注意グマとしてマークしてきた集団Cの1頭は推定4歳。二度の追い払いを含めた幾つかの観察から、もしかすると攻撃性の高い個体との疑いがあり、捕獲を念頭に観察を続けて来たが、ここ数年のパターンからすれば、この個体は今年を最後にこのエリアからは姿を消す可能性も高い。

 ここを卒園した5歳以上の若グマの動向は、また調査エリアを拡張して調べなければ分からないが、シカ用の電気柵に対しては、いとも簡単に掘り返し戦略を持ち出しほとんど障壁とならないので、ヒトの活動が活発でない周辺のデントコーン農地のうち、オス成獣が活発に利用していない場所を見つけ、こっそり出没しているのだろう。断片的な調査データ・事例からすればそう推察できる。
 残念ながら、「秋の幼稚園」でデントコーンの味を覚えた若グマは、よほどしっかり対ヒグマ電気柵を設置していない限り、何となく自然にあきらめるということは考えにくい。実際にデントコーン農地に入り込み飽食する1ヶ月前から、デントコーンへの意識がそれらのヒグマには生じ、様子見に降りるなど行動を変化させるのが通常だ。

 なお、前掌幅と年齢の関係に関しては、オス・メスともに90%以上のヒグマに適用できる年齢別前掌幅の範囲グラフをめざして数年来作成中で、補正はまだ必要とするだろうが、現段階では、概ね下の前掌幅成長曲線に沿って考えている。
 通常、特に若い個体は前掌幅から性別が判らない。仮に14pの前掌幅を持つヒグマがいても、オスともメスともつかないのだが、数学の微分方式でその「変化率」を見るとそれなりに推定できる場合がある。下図の折れ線グラフ(紫)は2006年から数年間ある若グマを教育(追い払い)・追跡しながら前掌幅をとっていったデータだが、13pと確認した年の初冬には既にオスと推定した。そして、その推定通り前掌幅は成長し、5歳を越えた春先にうっすら積もった雪の上に16pの足跡をくっきり残した。この足跡以来この若オスは大規模に分散行動をとったのか、さもなくば捕獲されたのか、まったく感知できなくなった。
 親離れ後しばらくの若グマの小さな足跡から性別を推定できると、そのエリアの1〜2年後の降里ヒグマについて、数も含めて予測材料になる。また、母系伝承を加味すれば、母グマになると予想したヒグマの行動パターンからは、その仔熊の親離れ後までいろいろを予測することもある程度可能だと思う。予測ができるということは、先回りして合理的な対策をとれるということだ。予測なしに刹那的・場当たり的な対策を、それも不完全極まりない形でとっている現在よりはるかに対策の方向自体がマシになる。

前掌幅成長曲線


2012年の顛末(途中経過より)
 2011年におこなった2012年予測に関しては
1.年長のオス若グマは、予測通りこの調査エリアへの出没が消えた。
2.当歳子を持つ2組の親子は、同様のパタンで出没となった。ただし、親子離れはしていなかった。
3.出没頭数に関しては、およそ想定内。15頭前後。
となり、あまりドラマチックな変化は起こらなかった。
 ただ、2010〜2012年の前掌幅データ(2012年は9月半ばまで)で、幾つか疑わしいことが浮上したので、3つのグラフを並べてみた。
 最下段のクママークが性別や親子関係を考え含めた、2012年の出没推定個体。
2010〜2012年データ

その1:前掌幅の小型化?低年齢化(?)
 まず、この3つのグラフを視覚的に見比べると、サンプル数こそ違え、この3年で前掌幅の小型化が現れているような印象を持つ。もしかしたら低年齢化とも言えるかも知れない。特にグループB(真ん中の山)でわかりやすいが、これは、必ずしも仔熊の増加によるものとは言えないように思う。

その2:初出産の低年齢化(?)
 もう一つ浮上したことは、出産年齢の低年齢化だ。間違いの指摘を覚悟で私なりの見立てを言えば、2011年に当歳子連れて現れた2頭の母グマの年齢が2歳、せいぜい3歳。行動形態から推測すると、前者のほうがしっくり来るが、これらのメスに関しては、感知してすぐ「初出産」と私は見立てた。そして、2012年に新たに当歳子を連れて出現した母グマも、その年齢と考えられる。
 もしそうだとすれば、ここに見られる3頭の母グマはすべて2歳か3歳の誕生日周辺で仔熊を出産したことになり、さらに逆算すれば、1歳もしくは2歳の6月前後に交尾と受精を成功させたことになる。
 クマもイヌ同様、ヒート時(交尾期・繁殖期)におけるフェロモンの分泌でオスの性衝動を誘発し、交尾が成立するのだと思うが、クマの生態学的に、1歳半弱の性的成熟があり得るのかどうか、そこは少なくとも私でははっきりしない。
 ただ、例えば犬の場合は、環境によってメスの初ヒートのタイミングが前後する。交尾可能で同年齢に近い若いオス個体が周辺に生活する場合は、初ヒートが早まるとブリーダー間ではいわれる。また、オスに関しても、精子の数は少ないものの交尾は可能で、場合によっては受精に成功する。ある犬種の繁殖開始の年齢が一般論で3歳とされていても、環境によって1歳になることもある。
 これらのことから類推を働かせれば、現在の私のエリアのように「若グマのるつぼ」と化した環境下で、メスの初ヒートタイミングが通常より早まり、結果、初出産年齢が低年齢化している可能性は、必ずしも絵空事ではないように思われる。

 実際に、2012年に現れた前掌幅10pちょっとの母グマ(c)を、どう解釈することができるだろう?
 もちろん人間同様クマにも特に可愛らしい手足を持ったメスがいることも考えられるが、それにしても小さいと感じる。

その3:メスの交尾回数・頭数の増加(?)
 また、もう一つ不可解な現象は、一頭のメスが連れる仔熊に、明らかな差異が見られるケースがチラホラ現れていること。つまり、仔熊の一頭は真っ黒で、もう一頭が金毛系のたてがみを持ったような個体とか。そういう、バラバラの兄弟が、増えているように観察される。サンプル数が少なくまともなデータもないので大したことは言えないが、2010年以前の過去25年間、このような兄弟は、私は北大雪では見たことがない。
 「若グマのるつぼ」では、交尾可能な個体はオスメスともに豊富に、それも局所的空間に集中して活動する。その影響で、初交尾・初出産年齢の低年齢化とともに、メスが得られる交尾個体数が増えているのではないか。
 ただし、このエリアでは、近年、「単独行動の当歳子」というのが比較的頻繁に現れだしている。従来的には9月にそのタイプが現れることはあったが、現在では7月下旬〜8月に現れることが多い。交尾期に歩き回るオスの攪乱で生まれがちだと思う。迷子か何か知らないが、その孤児をどこかの母グマが養子として自分の子と一緒に育てているだけかも知れないし、実際の経緯は不明と言えば不明だが。
 ミトコンドリアDNAのハプロタイプの分析によって母系遺伝に関しては近年研究が進んでいるようだが、じつは、私の調査している北大雪というのは、母系遺伝上ちょっと微妙な位置にある。その研究成果を用いて言えば、北海道にアラスカ方面から渡ってきた「知床タイプ」とその後ユーラシアから渡ってきた「道北タイプ」のちょうど境界線にあたる可能性がある。科学者はその境界線を「明瞭」だと言うが、その明瞭さには、私自身は多少疑問を感じている。もしかしたら、遺伝系統学的な「何か」も、このエリアのクマのタイプの多様性を高め、現場での観察結果や印象に現れやすいのかも知れない。



 ここに書いていることは科学的に立証された事実ではない。現場の調査結果に現れたことから疑いが浮上した段階で急遽あれこれと有機的に結びつけ問題提起に踏み切っている。が、特に上述「その2」に関しては、今後の対策指針に大きな影響を与えうる。
 そもそも「若グマのるつぼ」が出来上がった原因は、人里周りの有利な場所を「占有」に近い形で利用していた成獣ヒグマを捕獲して取り除いたことによって、空いた空間を若い個体・メス熊が「共有」する形で活動するようになったからと考えられるが、そこから生ずる高い繁殖率に関しても、メカニズムとともに合理的対策を見出さなくてはいけない。
 この現象の条件として、
 ・周辺の山が広大かつヒグマの環境的な収容力が高い(周辺からの供給可能量が多く持続的)
 ・農地の防除が遅れ、被害が高じている(農作物によって食い溜めが達成され、着床成功率が恒常的に高い)
 ・人里空間の誇示が不足している(若グマ・メス熊が、人里周りを「有利」と捉え、快適に暮らす)
 ・一定年齢に達したオスの分散行動、あるいは捕獲個体がオスに偏ることから、人里周りの活動個体の性比がメスに偏る(単純な活動頭数より生産力が高く、人里周りに高機能な生産エリアが出来上がる)
などがある。
 
 この調査エリアを含む遠軽町では、近年40頭水準でヒグマを毎年捕獲しているが、農作物被害が増加し、人里・市街地への出没も明らかに増える傾向にある。一見不思議に思えるだろうが、ひとつひとつ考えていくと、道理を踏んだ結果ともとれる。
 まず、私のこの調査はたった一枚のデントコーン農地に東側から降りる個体についてのみ、クマのルート上かなり狭い区間でおこなっているが、そこでの当歳子の数が2011年・2012年とも3頭に達している。ここと類似したヵ所は丸瀬布に10ヵ所程度はあるだろう。単純計算なら、丸瀬布だけで毎年30頭の仔熊が生まれていることになる。親離れまでの仔熊の自然死が1/3としても、20頭の若グマが毎年産出されていることになる。遠軽町全体なら、おそらく、少なく見積もっても人里周りの山で60頭前後産出されてるのではないか。数字は不正確だが、農地の被害そのものが援助として働き、そういうレベルの増え方をもたらしている可能性がある。
 同じ2012年、この狭い調査エリアを中心に半径5キロほどでおこなった6〜7月の広い調査では、6組の親子連れが把握され、そこには4組の当歳子連れが含まれたことからも、上の推論が大きく外れていないと思われる。
 また、捕獲に関して、個体識別をないがしろに冤罪グマを無意味に殺しながら、ほかの個体に人為物を食べる習慣を効果的に教えているため降農地数が減るはずないし、箱罠はヒトへの忌避を若グマに教え込めないので、人里・市街地への出没も増えるのが道理だろう。

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