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ページ2:合理的なヒグマ対応の判断について

ここでは、現在の北海道で盲点となりがちなことの中から
少し突っ込んで幾つか取り上げたいと思います。
それを欲する方のためのサービスページですのでご了承下さい。


1.箱罠のリスク
2.無分別な駆除がヒグマと被害を増やす?
3.ヒトとヒグマの将来を握る「若グマ」


 1.「箱罠」は是か非か?

 北海道では、農地にヒグマの被害が発生したとき、「箱罠」によってそのクマの捕獲がめざされることが多い。銃器を携え周辺にヒグマを追って仕留めることに比べれば技術的な困難もなく労力も小さいこの方法は、現在ではヒグマ出没対策の常套手段とされ、北海道各地で用いられている。その影には、駆除活動を担う猟友会ハンターの高齢化・空洞化・減少という、捕殺駆除能力の低下が横たわっているようだ。
 箱罠は、夜間出没型のヒグマを捕獲できるメリットが大きいが、一方で、箱罠依存の悪影響・リスクがいくつか浮上している。

1.人里へのヒグマ誘引と「冤罪グマ」
 箱罠にはシカ肉・ハチミツ・サケなど誘引力の高いエサが仕込まれるが、まず第一に、特に腐敗性のエサがかなり広範囲の山から被害に関係のないヒグマを引き寄せてしまうという点。例えば、腐ったシカ肉によって誘引されるヒグマの距離は、最低でも5〜6qを視野に入れる必要があるだろう。
 5月連休直前のある日、ストーカー行為を続けていたある若グマが、妙に鼻を上げ風のにおいを嗅ぎとっているのを見た。それがあまりに執拗で不自然だったため、時間をおいてそこから犬も使って追ってみた。
 案の定、若グマはそれまで一週間の動向をにわかに変え、まずひとつの低い尾根を越えていた。翌日、越えたところからまた追った。雪上はトラックを目視して、新芽の斜面は犬の鼻を使って追ったが、若グマは比較的方向を迷わず、4qほど離れた場所に移動していた。その移動が止まったまばらなササの中に、まだ食べる部分が十分残ったシカ死骸が転がっていた。私が要した時間は10時間を超えたが、おそらく、若グマはほんの2〜3時間でこの距離を移動したのではないか。
 ほかにも類似した例は幾つもあるが、もしかしたら、風の向きと種類によっては、ヒグマは10q内外離れた場所から、腐ったシカのにおいを正確に追えるのではないかとも推測できる。
 そもそも、人里内にヒグマを引き寄せ、場合によっては居付かせること自体、人里のリスクマネジメントとは相反する方向性だろう。

 箱罠は「追い払い」「電気柵」という教育手法と相反する手法でもある。一方でヒグマを人里から追い出し、降りてこないようにいろいろ工夫しているにもかかわらず、他方でヒグマの大好物で強力に誘引し、効果的に人里に導いていることになる。また、教育によってせっかく電気柵を学習し近づかなくなった個体、あるいはヒトに接近しなくなった個体を、わざわざ大好物のエサで呼び寄せ無差別に殺してしまうことにもなりかねない。
 ある箱罠を観察した結果、一頭の小さなヒグマが罠にかかるまでに、二頭(もしくは三頭)の別のヒグマがその罠の場所にやって来て箱罠周辺を歩き回ったあと、そのままエサに手をつけず立ち去った事例がある。捕獲された小さなクマは、もともとその農地被害に関連のない、いわゆる「冤罪グマ」であったことが前掌幅から明らかだった。

 率直に言えば、ヒグマの捕獲頭数にさして重要な意味はない。本当に獲るべきクマを確実に取り除いているかどうかが問題だ。北海道でありがちな、クマはポツポツ獲れているが被害が一向に減らないというケースは、個体識別をないがしろにした捕獲頭数主義によって起きている面が大きい。ヒグマの捕獲数と被害の解消度・人里の安全度は、どちらもまったく比例しない。箱罠に依存し常用した場合、むしろ反比例の傾向にある。
 近隣の山が豊かなヒグマの生息地である場合、毎年箱罠に依存した農地周辺では、箱罠によって引き寄せられた、それまで人里に無関係だった複数の若いクマが農作物やゴミを食べるきっかけともなってしまうため、下記の「ワナ回避」を大なり小なり伴いながら、数年のうちに徐々に降里ヒグマの数が増え、場合によっては数頭のヒグマが同時に一枚の農地に降りるようになったりする。これは「ハネモノ」を放置しておく場合と似ているが、箱罠に使われるエサの誘引力が強いので、はるかに効果的にクマを呼び寄せる。一度農作物を食べあさったヒグマはそのエサに常習性を示すことが多いので、一定レベルで捕獲数が維持されつつ、農地被害が増大する可能性が高い。
※周辺の山にクマの生息数が極端に少なければ、こうはならない。

 ヒグマ捕獲の評価は、原則的に捕獲ヒグマ一頭でどれくらい被害が減ったかという尺度が一般にはあるが、実際は、一頭獲ったことで減る被害と、その捕獲によって生ずる諸々の被害・危険性の天秤になる。とすれば、上のような捕獲は明らかにディメリットが大きいだろう。
 ヒグマの捕獲に関しては「必要十分に獲る」というのが理想だ。不必要にヒグマ捕獲することは、捕獲が必要な個体を捕獲できないのと同様に、問題を派生させることが多い。


2.「ワナ回避」の問題
 もうひとつの要因が「ワナ回避(trap-shy・トラップシャイ)」にある。「ワナ回避」を覚えたヒグマは、箱ワナの前で警戒し容易にはかからなくなる。仕込むエサやワナのかけ方により一概に言えず、また正確な数字は不明だが、初めて箱ワナに出合ったヒグマの半数ほどがワナにかかるのではないだろうか。1/3〜1/4という調査結果もあるが、これは箱ワナ導入から数年後のデータなので、データ元のヒグマが初めて箱ワナに出合ったかどうかがわからない。
 箱ワナ導入年の推測で仮に半分だとすると、残りの半数はワナを警戒し回避した可能性がある。箱ワナの中に仕込まれるエサ(誘因餌)は、シカ死骸・ハチミツ・サケなど、基本的にヒグマの大好物だ。その大好物のにおいで箱ワナまで導かれたヒグマが、それを見送って立ち去るには、よほどの動機がないと難しいのではないか。
 ヒグマの常習性・執着には触れたが、ヒグマには一度覚えたことを律儀なまでに繰り返す習性もある。この習性がワナへの警戒に現れるとすれば、いったん現れたワナ回避の性質が、かなり継続的に作用する可能性がある。
 恐らく学習能力の差で、何度追い払ってもフラフラ出てくる若グマもあるし、調査捕獲では何度捕まってもまたワナに入る個体もあるらしいが、逆に、警戒心を抱きやすい個体も存在する。イヌでいう「シャイ気質」というやつだ。その個体が、ワナ回避を覚え、その警戒心を年々強化・固定化させるとすれば、軽率な個体が毎年あっけなく捕獲されながら、ワナ回避の個体はむしろ数を増やす可能性もある。つまり、箱ワナがワナ回避をヒグマに誘発させる道具だとすれば、当然ながら、罠にかかりにくい個体を選んで年々地域に残していくことになる。

 ワナ回避については定量的な検証がなく仮説の段階だが、このシナリオは十分あり得ると思う。
 ワナ回避が起きるシステムは不明だが、罠の門扉に挟まりつつ逃げたヒグマはワナ回避グマになるだろうし、自分自身が危機一髪にならなくても、箱ワナの誘因餌で複数のヒグマが引き寄せられた状態で一頭不注意な個体が捕まれば、あるいは親子連れの状態で子グマが一頭かかれば、残ったヒグマがそれを感知しワナ回避を学習する可能性もあるだろう。当然、母グマにワナ回避が現れれば、その警戒心は仔熊に少なからず伝承されうる。

 ここに書いた仮説が正しければ、問題点は、捕獲を決めた問題個体をワナでは獲れなくなる点。そして、罠をかけた原因グマが捕られない代わりに、無関係なヒグマのうちワナ回避を学習しにくい個体を捕獲することになる点。捕獲個体の中で、いわゆる冤罪グマの比率が増える。これでは被害解消に結びつかない。
 また、特に異常性を持った危険グマがその地域に現れた場合、銃器とワナを効果的に用いて速やかに取り除く必要があるだろうが、例年箱ワナに依存しワナ回避グマをつくっている地域では、その個体にワナが効かなくなっている可能性も高いだろう。箱ワナに依存したヒグマ対策を行っている地域では、往々にして猟友会の高齢化・空洞化・減少のどれかが進んでいる場合が多いだろうし、クマの調査に熱心なハンター、生粋のクマ撃ち、クマの専門家のどれもが不在で、人里へ降りるクマが多いことも推測できるので、周辺のヒグマが人里内で人為物を食べ慣れている可能性も高く、危険グマ自体が生じやすい環境にあるとも言える。


3.電気柵下の「掘り返し」
 ヒグマは「掘り返す」という動作に長けた動物で、その能力を常用している。長い五本の爪を配した腕は、まるでユンボのように機能的に土を掘り返すことができる。シカ用の電気柵の普及したエリアで上述ワナ回避グマが増えている場合、問題のひとつはこの「掘り返し」だ。
 電気柵のメンテナンスが不十分で電圧が落ちてしまっている場合、あるいは電気柵の設置方法がクマに適さない方法であった場合、「掘り返し」グマはワナ回避同様年々増加してゆくのが通常で、できるだけ早い段階で対策を講ずる必要がある。どこのどんな電気柵で覚えたかによらず、掘り返しを学習したヒグマは、別の場所へ行っても、電気柵を前にすると掘り返し戦略を用いてくる場合が多いようだ。
 推測だが、渡島半島のようにはじめからヒグマ用電気柵をきっちり設置・運用している地域の防除率(≒100%)を、もしかしたら他の地域では出せないかも知れない。これもまた実証的に見ていかないとはっきりしたことは言えないが、もし仮に、ヒグマ用電気柵の下を掘り返して破ってくる夜間出没型のヒグマが現れるとすれば、その時こそ、温存しておいた箱罠を効果的に用いるべきように思われる。

 ヒグマの寿命が長く20〜30年生きうることを加味すれば、上のようなワナ回避、掘り返しを覚えたクマを不用意につくることは、そのエリアのヒグマリスクマネジメントを恒常的に悪くすることにつながり、特に猟友会のさらなる衰退が必至となっている現在以降の北海道では、決して得策ではないように感じる。



 箱罠にはそれを人里および周辺におくこと自体の危険性も大きい。最も人身被害の危険性に結びつく二つの要素を加えておきたい。

a.シカ死骸近隣でのヒグマの攻撃性
 通常、箱罠は農地周辺などの人里もしくは周辺に仕掛けられる。ところが人里にはキャンプ場や観光地があったり、そうでなくとも不特定多数の来訪者が歩くのが普通だろう。例えば、昨今の北海道で箱罠内の誘因餌(ヒグマをおびき寄せるためのエサ)よく用いられるシカ死骸などは、通常、周辺から複数のヒグマを誘引しつつ、それらのヒグマをにわかに攻撃的に変えることがある。ヒグマの調査をしていて最も緊張するのも、このシカ死骸ににわかに出遭ったときだ。
 調査調査と偉そうに書いているが、その肝心の調査を断念することもある。つい先日も、人里から1qの斜面にカラスが群れているのを発見したのでベアドッグとともに探索に入った。ヒグマとクルマの交通事故があった場所の近くだったので、もしかしたらその個体の死骸があるとも推測したが、カラスの舞う場所に50mまで近づいて、私は躊躇し進めなくなった。辛うじてシカ・クマの獣道はあるものの、ササが鬱蒼と茂り視界が悪すぎたのだ。転がる死骸の発見は、開けた場所なら圧倒的に鳥類が有利で早い。ところが、私が目にしたその環境は、あまり上空からの発見に有利な場所とは思えなかった。50m先にシカかクマの死骸が転がってるのはまず確かだが、そこにすでにクマがついている可能性が高く、ウロウロしながらいろいろ考えたあげく、そこから引き返してきた。

 ヒグマはもともと肉食傾向が強く、歯をはじめとする消化器系は動物性タンパクを効率的に消化するようにできている。決して草食獣のようにフキや草本・飼料用デントコーンなどを食べて栄養摂取するようにはできていないし、私の知る限り反芻もしない。ヒグマはサーモン・シカ・昆虫(アリ)などの動物性食物をはるかに好むが、現在の北海道ではサーモンの遡上が阻害され、従来得られていたはずの動物性タンパクが摂れないヒグマも多い。ただでさえシカ肉には目がないヒグマだが、そういう状況でシカ死骸が転がっていれば、おそらく過剰に独占欲・所有欲が働いてしまうのだ。その独占欲・所有欲・執着は自ずと排他性・攻撃性につながり、そして、その攻撃性は、同族のヒグマとヒトに対して発動することがある。この相手は、ブラフチャージをおこなう相手と同一だろう。
 具体的にどういう行動が見られるかというと、ふだんヒトとバッタリ遭遇を起こしても速やかに逃げ去るヒグマが、シカ死骸の近隣では積極的に威嚇・攻撃してくる、あるいは、その近隣に執着し頑固に居付くなど、人里のリスクマネジメント上、決して好ましくない状態が出来上がる。この攻撃性に関しては、シカ死骸の至近距離で顕著だが、経験からは、影響は半径数百メートル以内で大なり小なり現れうる。

 なお、複数のヒグマが一つのシカ死骸周辺に寄り、それぞれが独占しようと攻撃性を発揮するので、必然的にヒグマ同士の争いが起きやすくなり、気が立っているヒグマとともに、負傷したヒグマも生じやすいと考えられる。この点が、デントコーンや、あるいは同じ動物性食物でも無尽蔵に遡上するサーモンと異なる点だ。
 深刻な怪我を負ったヒグマは、やはり通常のヒグマとは異なる行動パターンを見せ、人里内から移動せず周辺の人為物を食べあさったり、逃げる代わりに攻撃に転じやすくなったりする場合もあるだろう。これは、手負いグマがしばらく危険なのと同様で、彼らにとっては最も合理的で常用している「逃げる」という戦略を失い、追い詰められやすいためと考えられる。(手負いグマも、通常は、べつに仕返しをしようと攻撃してくるわけではない)

カメラトラップ この個体は「箱罠」から約100m地点、数頭のヒグマが利用するポイントに仕掛けたカメラトラップにかかった若いオスだが、写真からも右手が正常に地面につけていないことが見て取れるだろう。ほかの映像などから、肩・顔に傷があり耳がちぎれていることもわかったため、過去一週間以内にヒグマ同士の闘争が原因でひどいびっこを引くようになったと断定したが、実際は、シカ死骸の周辺でこのようなことが人知れず起きているのではないかと推察できる。
※この個体に関しては日に日に回復を見せ、農家の許しを得て簡易電気柵で往来を止めるまでに、かなりまともに歩けるようになった。

怪我若グマ この個体は、オホーツク海側のある河川で見られた1〜2歳程度の若グマ(性別不明)だが、攻撃を受けたばかりらしく、傷の判読からすれば、大型オス成獣の一撃で深傷を負ったと判断できる。原因は定かでないが、写真からもわかる通りカラフトマスの時期は終わっており、もっと強い誘因物(ヒグマの好物)が絡んでいるような印象を受けたが、可能性としてはシカ死骸が浮上する。加害グマのオスの爪が内蔵まで達していることから、この若グマの生存は難しいだろう。



b.親子グマの問題
 仔熊というのは、必ずしも母グマの言うことを何でもテキパキと聞くわけではない。興味の湧く対象があれば母グマから少し離れてうろちょろすることも多々ある。母グマと仔熊の距離は、私の経験だけでも100m以上離れていることがたびたびある。そうやって好奇心で動き回っている仔熊が箱罠にかかってしまったときの、母グマの行動パターンの変化が懸念されるところだ。実際に、道内でもこのように仔熊だけ捕獲される例がたびたび見られる。
 母グマにも個性のバラツキがあることから一概にどうなるとは断定できないが、はたして、箱罠内の仔熊をあっさりあきらめて去ってくれるかどうか、そこはかなり疑わしい。仔熊と離ればなれになって執着をまったく見せない母グマのほうがよほど珍しいだろう。箱罠に捕獲された仔熊に執着し周辺を歩き回る母グマは、シカ死骸への執着で攻撃性を持ったヒグマより危険な場合があるかも知れない。
※この危険性に関しては、2011年の「ヒグマ捕獲技術研修(網走)」でハンター講師の側からも強調された。

※いくつかの場所で触れたように、「母グマは危険」という言い方は大雑把で正確性に欠ける。調査などで母グマと仔熊の間に不注意で割り込んでしまうことはときどきあるが、そのときに「恐い」「襲われる」でははなく「ごめん」という気持ちが湧くかどうか、その気持ちで行動できるかどうかで、必ずしも危険度が極度に高じた状態とは言えない。しかし、無分別なハンターが樹に登って逃げた仔熊を射殺した場合、あるいは箱罠で仔熊を捕獲した場合では、いわばこちらから一方的に先制攻撃を仕掛けた状態なので、母グマは、攻撃した側にとっては必然的に危険な存在となる。それは、正常なヒトの母親でも同じことだ。



 2.ヒグマの忌避力学―――無分別な駆除がヒグマと被害を増やす?

 ヒグマにはテリトリーがない。これは昨今の研究者で大勢を占める見解だ。テリトリーの概念を掘り下げて考えていけば、まだ不確定な部分もあるが、仮にテリトリーがないとしても、あるヒグマは、必ずしも周辺の他個体を無視して自由に動き回っているわけではない。つまり、一頭一頭のヒグマ間には、何らかの「力学」が働いていると捉えることができ、その力学を元にヒグマの社会構造を形づくるのメカニズムが出来上がってると考えられる。
では、その力学とはどのようなものなのか?

忌避力学モデル
 ヒグマの力学は、交尾期など特定の時期・個体を除き、引き合う力学より遠ざかる力学。つまり、「忌避の力学」が働いているととれば、ヒグマの行動圏配置や移住・移動など、いろいろな現象がうまく説明できるように思われる。生物のテリトリーには大前提として遠ざける側の意志が働くが、忌避は遠ざかる側の敬遠・遠慮などが自ずと作用する。オオカミは前者、ヒグマは後者タイプと言えるだろう。
忌避モデル 例えば、私のエリアであれば、左のような忌避の度合いを仮定すると、ヒグマの動向がだいたいうまく理解でき、ある程度の予測も可能だ。もちろん、ここに書いた数字は科学的なものではない。そして個体差が大きいヒグマという動物に、このような一律の数字を当てはめること自体、不合理であることを承知しつつ、「忌避力学のモデル」ということで、概念を数値化してみた。オス熊からヒトへの忌避を仮に10とすれば、若グマからオス熊・ヒト・若グマ・メス熊へのそれぞれの忌避心理が7・2・1・1の強さであるという見方を、この図ではする。

 特に重要な点は、
1.オス熊はすべてのクマから強く忌避されている
2.メス熊・若グマは互いに忌避が小さい
3.若グマ・メス熊からヒトへの忌避が可変であり、現在は、比較的小さくなっている。
 この三点だろう。


 私は、8年ほど北大雪の中山間地域で、この忌避力学をイメージしながら山や里に降りるクマを見、また、ここで起きた様々なヒグマの動向変化からこのような数値化をおこなったが、特に上の三点が、ヒグマの行動圏配置、ある局所的エリアの年齢構成・性比・生産力、あるいはヒト側に及ぼす被害の量と質などを、まずまず矛盾なく体系的に理解させてくれるように思う。
 例えば、6〜7月の交尾期には、調査エリアで感知できなかった大型オス成獣がどこからか徘徊してくることがあるが、その時、それまで安定していたメス熊の一部と若グマの動向がにわかに変化し、場合によっては雲隠れしたように行方知れずになったりする。それは、子を持つ母グマ・若グマがともにオス熊を忌避して逃亡・隠れ潜んでいるからではないのか。ここでは、親子連れが一定の距離を置いてオス熊を追尾するという、一見変わった方法でもオス熊との遭遇を避ける場合もあるようだ。あるいは、人里周りで比較的年長個体を捕獲した場合、そのクマがよく利用していたエリアのヒグマの年齢構成・密度が変わる場合があるが、これは、捕獲個体の欠落によって力点(作用点)が失われ、バランスをとるように周辺ヒグマが動いた結果起きていることではないか。また、あるいは、若グマ・メス熊が昨今ヒトに対しての忌避を小さく変化させていることが、北大雪のみならず、北海道各地の市街地出没や札幌クマ騒動にも影響しているのではないか。
 この忌避力学を用いて、いろいろなクマの現象に仮説を立てることは可能なように思う。

  この忌避力学モデルで特筆すべきは、ヒトをヒグマの力学の中に含ませて考えているところだ。テリトリーというのは、原則的に同じ種に関して適用できる概念で、オオカミならオオカミ同士、アユならアユ同士の排他性の力学である。ここでは、同種間に働く力学を拡張し、ヒトを包含した「ヒトとヒグマの忌避力学」としてモデルを構築した。このことで、この忌避力学を用いて、ヒトとヒグマの様々な問題を論じ、解決に向けうると考える。
 つまり、ヒトは、ヒトの力学でヒグマをコントロールするのではなく、ヒグマの力学上でいろいろな対策をとる必要がある。奇異に聞こえるだろうが、私自身は、暮らすときも若グマ対応をするときも、イメージとしてはオス熊としてクマ社会に紛れ込むように振る舞っているところがある。
 例えばイヌを飼うとき、そこにはルーツであるオオカミの力学が存在している。オオカミの場合は引力で結ばれた群れの力学と排他性を基本とするグループ間の力学があるのでヒグマとはかなり異なるが、いずれにしても、人為的オオカミの亜種(品種改良種)であるイヌの飼い主はオオカミの力学上でアルファ(リーダーオオカミ)として一頭一頭の飼い犬をコントロールすることになると思う。
 若グマが強くオス成獣を忌避しているとすれば、オス熊の何がそれを引きだしているかを考え、人間流に改良し実践する。その具象化が、追い払いなどの威嚇・威圧行為ということにもなる。こう書くとなんとなく滑稽だが。

 さて。
 下図は、ヒグマの捕獲に関わるヒグマ動向の変化を模式的に示した図だ。まず、ヒグマ側の変化だけ見てみると、比較的年長のメス熊を捕獲すると、その直後、当然ながらその個体の活動空間で空く空間ができる。周りの山にヒグマがいなければ、そのままヒグマ不在の空間がしばらく続くかも知れない。しかし、周辺の山にヒグマを多く生息する場合は、この空いた空間はそのまま続くわけではなく、しばらくして新しいクマが活動するようになるだろう。そのクマは、元々いたヒグマAより力のない個体、つまり、オスでもメスでも若い個体であることが多いはずだ。それまで、ヒグマAの存在によって忌避・遠慮していた若めの個体ヒグマB・Cが、ヒグマAの欠落によって行動範囲を変えてきた結果だが、そこにはエサ場などヒグマにとっての有利な条件が揃っているのだろう。とりわけ若いクマは狭い空間を共有し複数活動するすることができ、捕獲したヒグマによっては、このような活動数・密度の増加が起きる場合がある。

若グマ増加メカニズム

 私が実際にこれに似た現象を観察したのは、調査エリア内の小さな沢筋。もともと、比較的大きなオス(前掌幅17p)の行動圏の本拠のような場所で、例年6月になると沢筋の幾つかのフキ群生地でこのオスが派手な食痕を残していた。箱罠が導入された2004年の翌年には、この沢のフキはほとんどきれいなまま8月を迎えた。このオスがいなくなったのは、捕獲されて欠落したか、あるいは、この時期のもっと有利な活動エリアに移動したか、そのどちらかと推測される。後者にしても、箱罠導入による突然の大量捕獲が何らかの形で影響している可能性が高い。

 ヒグマの食痕がこの沢に戻ったのは2006年の6月初旬。つまり、捕獲から約1年半後。前掌幅13p、金色のたてがみが特徴の若グマだった。(私は、骨格・行動からオス3歳と推測したが、その後の調査で3年後には16pに前掌幅を成長させ、オスであると断定できるようになった)
 ところが、この個体を感知してから立て続けに2頭の若い個体をこの沢のフキ群生地で確認した。どちらも2歳の若グマだと思えたが、1頭は真っ黒で、6月なのに丸々太った毛並みのきれいな個体だった。何度か現認できたのは2頭、前掌幅から3頭という見立てだ。のちに、1頭がオス、1頭がメスと断定されたが、残りの1頭は性別が確認できなかった。
 あくまで局所的な出来事だが、頭数からいえば1頭いなくなって3頭入ってきたので、3倍に増えたという計算。そして、明らかな若返りが起きている。

 この3頭がどこから来たかという推論は、2006年以降の別の調査からできる。人里周りと表現できる数q以内の空間の外に、比較的ヒグマの活動が閑散とした空間があった。私が調査をした沢沿いでは、ツル科の植物(ヤマブドウ・コクワ・マタタビ)が比較的切られて少なく、それほどヒグマに有利な場所とは思えなかったが、最低でも1頭のメスが2〜3年の周期で比較的順調に子育てをおこなっていた。個体識別が不確かながら他にも同様のメスがあると推測されるが、それにしては、このエリアで若グマの数が増えない。広く豊かでヒグマの生息数が比較的多い北大雪では、通常、健全なメスが何頭か活動していれば、そのエリアがヒグマのちょっとした生産エリアになるのだが。上の3頭のうち一部はこのエリアから供給されたものと考えるのが自然だろう。

 さて、実際の観察にせよ忌避力学の仮説が導くシナリオにせよ、クマの数が増えるのは、じつはさして問題にはつながらない。クマの性質が問題だ。
 概して若グマはヒトや人里の経験が浅く、ヒトと折り合いを付けて周辺の山に暮らす術を身につけていないため、若返りによって、それまで起きなかった問題が起きるようになる可能性は高い。上の図を借りていえば、Aさんが裏山に山菜採りに入ると、ヒグマBはフラフラ近づいてじゃれつきかけたり、逆に威嚇攻撃を仕掛けてくるかも知れないし、ヒグマCは親子連れで畑を荒らしに来るかも知れない。ヒグマAが、仮にそこそこ分別のついたクマだったなら、その捕獲によってAさんの生活環境は改善したとは、とても言い難い。
 実際の観察で3頭到来した沢では、もともと17pのオスは痕跡ばかりで誰一人見たこともなかったが、若い3頭に入れ替わったあと、それまでなかったヒグマ目撃情報がいくつも行政に報告されるようになり、フキ採りの人とバッタリ遭遇も起きた。幸いにして事故は起きていないが、若返りでヒグマとヒトの距離がにわかに縮まったことは確かだ。

 2008年には、3頭のうち1頭がまだ若グマの性質を色濃く持ったまま2頭の子を持ち、その後親離れさせて新たな若グマをこの沢に送り出したようだ。残る2頭は、あまりに無警戒な行動で、私の若グマ忌避教育の1期生となったが、最も問題児だった金毛たてがみの若グマは、(推定)5歳の春にチラリと姿を見せたあと、この沢筋では感知されなくなった。
 箱罠導入年から4年後、人里から近いこの場所付近の6月・7月のクマの活動数を見ると、5倍に増えたことになる。

 もし仮に、ここで起きたようなことが人里周りのあちこちで起きているとしたら?

 2007年あたりから、丸瀬布市街地周辺を含め、あちこちでヒグマ目撃が頻繁に起こるようになり、行政・ハンター・住民は「クマが激増した」などと口々に言うようになったが、その原因は誰もわからなかった。ハンター側からは「クマをもっと獲らないからだ」と言う者が現れ、行政もその方向で箱罠を3倍の6器に増やして捕獲に躍起になった。しかし、効果はあまり出てこなかった。

 2008年初夏には、この沢に見られたのと同様の軽率な親子連れが4組確認され、それを機に、私の調査エリアは山から人里に降りて、そこから山を見た。唯一あったのはここに述べた観察と仮説であり、それを頼りにするしかなかったが、最も問題が高じそうな場所を選び定め、「忌避」というキーワードを念頭に若グマに的を絞って、ベアスプレーと轟音玉で追い払いをはじめ、翌2009年には狼犬を手に入れベアドッグとしての育成を開始した。
 2008年の8頭の仔熊がどうなったかはわからない。が、移した人里内の狭い調査エリアでは、予想を超えるスピードで年々人里農地に降りる若グマの数が増え、現在までに、時期と場所によってはほとんど臨界状態ではないかと思えるほど過密な状態をつくっている。8頭の一部も、ここに含まれているのだろう。

 (→若グマの増加:前掌幅などからおこなった、ある農地周辺での個体数調査の結果)

 人里周りの局所的なクマの増加、その周辺まで見たときの状況変化、そして山塊全域でのヒグマの生息数。いろいろ見方はあるだろうが、少なくとも、ヒトとの問題を生じやすいのは、人里周りの若グマの動向・性質だろう。見る角度によっては、人里がひとつの大きな罠として機能し、山のヒグマを人里周りにコンパクトに集中させつつ捕獲と被害を繰り返している様相にも見える。


丸瀬布・捕獲経年変化
 
 上図は、少し範囲が広くなるが旧・丸瀬布町エリアにおける過去30年間のヒグマ捕獲数の変移グラフだが、ここからもわかるように「獲らないから増えた」という説は、合理性を欠く。
 転機は二度ある。まず、90年の春グマ駆除廃止。通常、ここを境に捕獲数が減るところだが、何故か丸瀬布では、ここを境にヒグマの捕獲数が増加している。これに関しては事情をつかめていない。二度目の転機が2004年、箱罠の導入だ。この年の大量捕獲の影響、そして箱罠に依存したヒグマ対策の影響をここでは述べてきたが、2004年前後で、さして捕獲数に変化は現れていない。問題は、その事実をどう読み解くかだろう。捕獲数が同じだから2004年以前と同じクマの状況に戻った、とするのが最も単純な見方だが、捕獲方法が銃器から箱罠に移行したことから、ヒグマに忌避を植えつける機会が減ったともとれるだろうし、もし仮に上述ワナ回避を加味すると、まったく違った結果も導ける。ヒグマの数が増加傾向を辿りながら、捕獲水準だけ以前と同じレベルということも起きうる。現に、調査している特定農地周辺では若グマが増え、道道・自動車道・国道・JR路線での衝突事故が起こるようになったのは2006年、あるいは、先述の「激増」という印象を人々に与えはじめたのが2007年あたり。まず、この近辺で若グマの増加が起き始めている可能性が濃厚なのではないか。
 2004年に2器の箱罠で10頭のヒグマを捕獲したのに対し、11年は6器の箱罠で4頭捕獲。つまり、1器あたりの捕獲数は、7年間で駆除ハンターの罠技術の向上もあったにもかかわらず、5頭から0.67頭、捕獲率は1/7以下に減っている。この比率がワナ回避グマの数にみに由来するわけではないかも知れないが、偶然と考えるにはあまりに違いすぎる。かといって、ワナ回避以外のめぼしい可能性が私には見つからない。
 箱罠とワナ回避と若グマの増加現象に関して、どういう環境下・条件下でどのような関係をもって起きるのか、それは今後の研究課題だろう。ヒグマの力学・社会学についても同様だ。
 

補足)仮説からの予測
 仮説をあれこれ立てたからには、ひとつ予測をしなくてはならないだろう。あくまで人里回りの局所的エリアの話だが。
 先述の増加を感知した沢筋におけるヒグマの、少なくとも6月〜7月の活動数は、2001年あたりから1-1-1-0-3-5-4と変化しているが、この後の変化を予測したのが下のグラフだ。これを考えるには、このエリアでのメスの頭数・性比、年齢構造、オスの若グマの分散、食物的な有利度(豊富さ≒被害・援助)、捕獲圧、捕獲性比(2:1)などを加味して考えなくてはならないが、ここには「準テリトリー理論」という、流動的で局所的かつ時限的なテリトリアルな空間の考えを導入しないと、私の頭ではスッキリ理解できない。

 この理論の概略を述べるとすれば、ヒグマのホームレンジ(HR)の中に、特異点(他と異なった特殊な点)としての空間があり、それが季節によって、あるいは場合によっては突発的に出来上がる。ヒグマがホームレンジを形成する原動力として、単なる回遊ではなく、この特に季節による特異点を巡る巡回ととる。すると、その間の空間は移動空間の色合いが濃くなるだろう。移動空間でものを食べないということではなく、食べても占有性と滞在性が低くなる。
 特異点は、特に食物で出来上がるが、最も強く狭くわかりやすいのがシカ死骸だ。その他に、一時的に(HRに比べて)比較的狭い空間をある特定の個体が占有する傾向が現れうるのは、6月・7月のフキ群生、場合によっては8月後半〜9月のデントコーン農地。逆に、占有されないのは、サーモンが遡上する河川流域、木の実類などだ。この占有空間ができたりできなかったりするには、その食物の豊富さ・広がり・特異点度・誘因度が関係すると考えられるが、原動力はアユやオオカミのテリトリーと同様である。
 従来的なホームレンジというのっぺりとした空間とテリトリアルな空間は結びつかない。時限的に、いつからいつまでのという言い方が正しいだろう。例えば、アユのテリトリーはすごく狭いが、そのアユは移動するので、午前中と午後でテリトリーが異なっていたりする。そして、個体によってテリトリアルな性質のものとそうでないものがあり、あまり個体密度が増えてくると、すべてのテリトリーは消滅する。つまり、その場所を競合し(ときに争ってまで)執着するのが有利か、あるいは、無尽蔵に食物があるから空間を共有しそれぞれマイペースで食べられるのかにもよるが、ここにも、ヒグマの場合は、どちらかというと排他性の力学より忌避の力学が働く。
 この結果できる占有空間を準テリトリーと私は呼んでいる。結果的に、この力学が働いた状態で、若グマ・メス熊は比較的狭い巡回、オス熊は広大なエリアの巡回をおこなうことになり、厳密にいえばそれぞれの巡回が連動している。また、原則的に、ヒグマの巡回にはヒトの活動が作用している。
 ホームレンジの中には、活動拠点と呼んでいいような空間、あるいは好い場と呼んでいい空間もあり、一方で、ほとんど足を踏み入れない空間もあるだろう。
 この準テリトリーは明らかに結果的形態としてはテリトリアルであり、しかし、恒常的にその空間が存在するわけではなく、出来上がったり消滅したりするので、ヒグマという動物がテリトリアルに見えたり、そうでないように見えたり、なかなか定まらないのだと思われる。
 先述の沢の優良なフキ群生は、準テリトリーになりうる空間ということができるだろう。

 いずれにしても、予測するのはそう簡単ではないが、ここで生産された個体のうち、オスはある年齢で大規模な移動をするかも知れないし、現代では、オスの捕獲数がメスの2倍程度であることから、このエリアのメスの性比が増加しつつ、活動数も増えていくことは予測できる。ヒグマの生産力が高まる。かといって、延々増え続けるわけではない。では、その増加グラフの変曲点・極値はどのようにして訪れるのだろう?
 恐らく、年齢構成が起因すると思う。つまり、現在、若返りが起きて若年個体ばかりになってしまったが、そのクマもそのうち成長し、オスの中にも移動せずこのエリアをホームレンジの本拠に含む個体が出てくるだろう。元々いた前掌幅17pのように。すると、その成獣が、若年個体のこのエリアにおける活動を制御する可能性がある。この制御は、交尾期などに徘徊してくるだけのオスからは得られない。
 また、もしかしたら、そのオス成獣によってメスの活動範囲の移動が見られ、生産エリアが人里回りから離れることもあるかも知れない。一頭のオス成獣が欠落し、この局所的エリアの若返りと増加現象が起きたとすれば、再び同様の力点(作用点)となる個体が戻れば、元の状態に収束する可能性はある(赤グラフ)。
 この上極は、早ければ数年のうちに現れると思われるが、何年以内という予測はできない。この上極における個体密度に関しても、残念ながら言及できない。
 さらに言うならば、前述忌避力学的に、このオス成獣に相当するヒトの活動がこのエリアに生じても、同様の結果が得られる可能性が高い。(類似した事例は丸瀬布・上武利にある)
予測グラフ
 ※年長個体ほど濃い緑で示してある。
 ※この沢の予測に基づき、丸瀬布全域への予測の拡張をおこなった結果、近隣のアウトドアレジャー基地「いこいの森」周辺の集中的調査とリスクマネジメントが急務と判断され、そちらに専念し始めたので、2009年以降のこの沢の詳しい調査ができていない。

 このエリアのヒグマは、箱罠依存の影響もあって総じてヒトに対する警戒心が小さく、なおかつ、農地が無防備なため、8月〜9月は、この人里周りのエリアを比較的「有利」と判断するかも知れない。もし仮に、現在の状況のまま、農地が無防備でヒトや人里への忌避を植えつけられず、また、その元で無作為に近い偶然の駆除を中途半端におこない続けるとすれば、場合によっては、ヒグマ社会としての年齢構成の成熟が阻害され、オレンジのグラフに近い形で高止まりすることがあるように思う。
 もちろん、仮に捕獲圧を強めてこのエリアの若グマを全滅させたとしても、再び2004年以降と同じことが起きるだけで、堂々巡りにしかならないだろう。若グマへの教育要素を中核に、ヒトや人里にとっての危険性観点で選別捕獲を、しっかりした判断でおこなえば、赤グラフに準じたグラフで、比較的少ないヒグマの活動数かつ悶着・軋轢の小さな状態に収束させられるかも知れない。

 くどいようだが、この仮説・予測は、周辺に比較的広大でヒグマの供給力が十分にある山などが存在するという条件下で立てている。軋轢・悶着・ヒグマの捕獲数ともに高じているのも、そのタイプの人里だと思う。
 



■悪いクマ―――問題性と異常性
 駆除の判断は、その地域の状況ごとに異なり、一概に言うことがなかなか難しい。ただ、原則というか、基本的な方向性はある。
 原則的に、問題を起こしているヒグマを評価するとき、仮にある場所で多数のヒグマが次々に問題を起こす場合はその場所に何らかの問題があると疑い、1頭のヒグマがあちこちの場所・ヒトに対して問題を起こす場合は、そのヒグマに問題があると判断するのが基本だろう。つまり、ヒトにとってのヒグマの単純な問題性ではなく、そのヒグマの特異性(異常性)を判断のひとつの尺度として持つことで、被害の解消は、労力・資金・危険を比較的膨らますことなくスムースにいく。

 ある人がフキを採りに沢に入ったら、そこでちょうどフキを食べていたヒグマとバッタリ遭遇を起こし攻撃を受け怪我をした。この場合はどうだろう?
 ヒトがヒグマによって負傷しているのだから、ヒトからすれば大問題だが、加害グマに、じつはさしたる異常性が見られない。恐らく、ヒトもクマも不注意でバッタリ遭遇は起き、その状況があまりに切迫していたためにそのヒグマは咄嗟に手を出してしまったのだろう。この手のヒグマは、ヒトと問題を起こしておきながら、その後、雲隠れしたように音沙汰なくなってしまう。どこかで普通のクマの生活を送っているのだろう。遭遇し怪我をした人には「今後注意してくださいね」くらいの言い方が適当だろうし、クマに対しても同様で、このクマを追い回して捕殺する根拠は見当たらない。(想定できる問題の事前回避のための捕獲基準はあっても、復讐・テロ的な捕獲基準は、私自身は有していない)
 もし仮に、そのクマに悪い異常性があった場合は、放置すれば似たような負傷者が出たり、あるいは危険な遭遇・目撃が相次ぐことになる。そもそもその手の異常グマ・危険グマは予兆が感知されうるので、予兆の段階で即座にそのクマをマークし、場合によっては、まだ事故を起こしていない段階で捕獲判断もあり得るだろう。

 人里のリスクマネジメントでも同様の尺度が利く。特定のヒグマが牛舎侵入をおこない牛食害を発生させている場合、その個体を捕獲する必要性は高い。しかし一方、次々に周辺のヒグマが降りてエサ場としてしまう場所なら、そこに降りるクマをいくら捕獲しても、問題は解決に向かわない。ヒトとヒグマの間に問題が生じている場合、そのすべてを「クマが悪い」とできるかどうか。ときには、ヒト側の過失に目を向け改善を試みると、そこから派生している問題群はあっさり解決する場合もある。

朝帰りグマ このクマは、ある無防備なデントコーン農地に降りる習慣を持ってしまっていた。現行犯ではないが、まず100%デントコーンを食べているので農家の経済被害を出しているヒグマということができる。
 しかし一方、ヒトそのものと人為食物(お弁当やお菓子・ジュース)を関連付けて覚えておらず、一大観光エリアに活動しながら、観光客・キャンパーに遭遇したことはおろか、目撃されたこともない。つまり、ヒトに対して一定の警戒心を既に獲得した個体ということができ、ヒトを十分避けて活動していることから、比較的危険性の低いヒグマと判断できる。左写真も、早朝、デントコーン畑から山に引き返すときに撮影したものだ。
 また、電気柵を前にしたこのヒグマの行動を撮影し確認したところ、この個体が完全に電気柵を学習し忌避していることがわかった。
 この個体への対応判断として、実際、箱罠を仕掛けたり、銃器を発砲するリスクに加え、この個体を捕獲し欠落させたあとのディメリットのほうがはるかに大きいようにも思われる。この写真の向こうには別件でひとつの箱罠が置かれているが、この時期の風向きからすれば、このクマは箱罠に仕込まれたシカ死骸を十分感知できる状態にあるにもかかわらず、それにかかる気配はない。農地の被害を防止したければ、ヒグマ用の電気柵を設置するのが、唯一の合理的対策と思える。
 道庁の捕獲許可の判断基準を成熟させていくほか、各自治体の鳥獣行政担当者もしくはその助言者となるハンター・ヒグマ専門家の判断能力のアップが求められている。



 3.ヒトとヒグマの将来を握る「若グマ」

 現在、北海道ではヒグマの危険度・異常度を測るための対応基準が出されている。例えば、「ヒトを見ても逃げないクマは捕獲対応」とする項目があるが、残念ながらそれは必ずしも正しくない。実情をよく考えた場合に実効力のある判断材料となっていないのではないか。それは、同じく学習し成長するヒトで考えればわかりやすい。「パンツ一丁で走り回るヒトは異常者である」とした場合、それは大人に成長したヒトに適用できる尺度で、幼稚園児がそれをやっても「あら、かわいい!」となるだけだろう。
 つまり、母親から離れ、いろいろを学習している最中の若グマには、上の判断は単純に適用できないのだ。極端な話、北海道の出している基準では、仔熊のほとんどは異常性を持った危険なクマ、となる。が、それはヒトや人里に対して警戒心を持つべき成獣ヒグマの尺度として「異常」とできるだけで、仔熊としてはいたって正常な状態なわけだ。現在の北海道では特に、人里周りに若い個体が多く活動していることが多いだろう。その環境において、若グマに焦点を当てない対応判断は、往々にして不合理を含んでしまう。

 仮に10歳以上のごくごく普通に暮らしている成獣ヒグマを正常と表現するなら、仔熊・若グマの異常性というのは無経験・無知であることによるもの。餌付けが絡んだいわゆる異常グマ・危険グマの異常性は、逆に何かを学習した結果現れた悪い異常性。つまり、経験・学習ということにおいてまったく正反対の事象を一括りにしているのが、上述北海道の出している判断基準なのである。特に人為食物で餌付けされ異常性を帯びた個体の更生などは極めて困難だが、経験の乏しさ・無知・未熟による異常性ならば、知らしめることによって行動改善を狙う余地は十分にある。

※補足)上記では、道庁の捕獲判断の基準を、あえて相当厳しく評価したが、そもそも「判断」という概念を持ち出していることが画期的で、従来の無差別テロのような捕獲からすれば、途方もない大前進だ。そしてまた、上に書いたような正確な観察と分析・判断を、通常の駆除ハンターではできない現実がある。ごく一部の「クマ撃ち」を除き、ほとんどのハンターは、特にクマのことを注意して観察したこともなく、考えたこともないため、区別していろいろを見る眼ができていない。クマは、クマとしか見えないのだ。外見以上に、行動パタンについて、現状のハンターではヒグマを場合分けすることができず、判断は困難だろう。おそらく道庁は、そこを加味してこの判断基準を出したに違いない。現場の判断能力が向上すれば、徐々に正確な判断基準に移行していくと思う。

 私の知らされている知床の「追い払い」の方法は、おおむねすべての点に関して現在日本でできる最高レベルのものだ。ところが、その効果については、必ずしも芳しくない。数年前、知床の研究者と雑談をしたときも、この点でどうにもちぐはぐな感じを受けた覚えがある。私のエリアでは、知床よりもはるかに「追い払い」の効果が好ましく現れている。これはどうしてなのか。
 カラクリは簡単で、私のエリアの若グマは、単に経験が浅く、無知で無邪気で好奇心が旺盛なクマ。それに対して、知床のクマは若いながらに、幼少の頃より膨大な数の観光客によって「追い払い」とは逆の学習をさせられている。知床の観光地グマが異常グマだとは言えないと思うが、何かを学習することによってその性質・行動パタンを獲得したクマなので、その学習を固体化させていればいるほど行動改善が難しい。これを知床の山中さんは「新世代ベアーズ」と命名したが、要するに「ヒトなんか恐くないもんね!関係ないもんね!」と学習したクマで、本来はアラスカでも北海道でも国立公園内とかの観光地に出現しやすいクマだが、近年の一般的地域のヒト側の状況変化によって、どうも全道的にクマが新世代化している気配も感じられる。

 さて、通常地域の若グマに関して、少なくとも現在の北海道では、親離れの段階で十分ヒトとの関係・距離感を学び終えることはできないように思う。ヒトが「いてもいいですよ」と言えるところまで、ヒトにとって必要なことを学習しないのだ。これにはヒト側の度量の問題もあるが、若い母グマは早期に子離れする傾向があるため、若グマ(若いメス)が増えた人里周りでは、さらにその傾向が強まる可能性もある。
 パンツ一丁の幼稚園児を糾弾するレベルの一律の基準ではなく、もう少しヒグマの成長過程に配慮する基準が必要だ。学習過程にあり、まだ経験が浅く無邪気で好奇心旺盛な若グマに対し、刹那的で軽率な「即捕殺」ではなく、追い払い等の行為でヒトが許容できる段階まで学習させ、行動改善をめざすべきだろう。

 野生動物の保護管理では生息域コントロールと生息数コントロールがよく取り沙汰されるが、高知能かつ寿命の長いヒグマという動物に対しては「性質コントロール」が重要課題となる。また実際問題、生息域コントロールといっても追い払い・電気柵などの効果的な手法なしにヒトが勝手に決めた境界線を保持できるはずもなく、現在の北海道における生息数に関しては信頼に足るデータは得られていないが、自然環境的(生態学的)な適性生息数上限をはるかに下回っていると思われ、人間環境的な適性生息数(許容量)を考える必要がある。つまり、ヒト側のスキルがアップすれば、ヒトが「いてもいいよ」と許容できるヒグマの数が増やせるし、被害も減少に向かわせられる。

ヒグマの成長曲線
 例によって定性的な議論にしかならないが、仔熊から親離れを経て成獣になっていくヒグマの、「人間側からの許容性・合格ライン」のグラフを描いてみた。あくまで模式図だが、母グマによる教育を初等教育と呼ぶとすれば、いま問題にしている若グマ教育は中等教育にあたり、その後は自律的な学習・成長ということになるだろう。
 グラフA:現在の北海道で最良な成長曲線
 グラフB:平均的な成長曲線
 グラフC:母グマが育児期に捕獲された場合の成長曲線
 グラフD:悪い学習を定着させている母グマによって育てられた場合の成長曲線

 「仔熊は異常グマだ」という論は、仔熊が若グマ以上に「無知で無邪気で好奇心旺盛」なため、ヒト側から見た性質の合格ラインをはるかに下回っているためだが、通常、母グマの制御下にあるので、ヒトとの間に問題が表面化してくることは少ない。問題が出るのはその制御が外れたとき、つまり親離れを境にしてしばらくだ。初等教育がヒトにとって好ましいようになされていれば、若グマになって少し手を添えてやるだけで自然にヒトが十分許容できるヒグマに成長するだろうが、そうでない場合、追い払いや電気柵など、これまでになかった手法で積極的に教育してグラフを上に持ち上げてやらないと、現代の若グマはいつまでも許容範囲に到達できない。端的にいえば、それがヒト側の第一のスキルアップと表現できる。

 一方、ヒト側の合格ラインを引き下げ許容度を上げてやることも必要だ。「クマ→捕殺」という自動的な図式ではなく、個体識別をし、その個体の性質を見定めた上で、「こいつなら居てもいいかな」と容認するスタンス。つまり、ヒグマ側のヒトへの学習度(グラフ)を持ち上げつつ、合格ラインを下げてやることで、折り合いを付けていこうというのが、一つのめざせる合理的モデルということになる。

道内捕獲数北海道・自然環境課提供
 上は 2011年8月9日現在、駆除によって射殺・捕殺されたヒグマの年齢構成をグラフにしたものだが、近年の捕獲ヒグマの年齢割合としては、概ねこのような傾向で推移している。今問題としている成長過程の若グマの捕獲数割合が圧倒的に高く(73.5%)、「若グマ」にどう対応するかが問題解決のひとつのカギであることが明瞭に見える。


補足)ヒグマを制御する実力
 生粋のクマ撃ちならば銃を持たずとも、教育を含めた若グマ対応が十分可能だろうが、防除・教育から捕獲の判断に関して、やはりヒグマ専門家が不可欠だろう。では、教育要素も含め防除を一生懸命やったとして、それにも関わらず危険な異常グマが万が一出来上がってしまったらどうするか?という問題が最後に残る。その場合、そのクマをできるだけ速やかかつ確実に仕留めて取り除くしかないが、その最後の砦となるのがクマ撃ちだ。地域そして北海道は、その砦を失ってはならないが、現在、北海道ではヒグマを山で対峙できるクマ撃ちが風前の灯火である。このヒグマの捕殺能力に関して、年配者から若手へ、各地域間のクマ撃ち同士、縦・横の情報交換を密に行いヒグマを仕留める技術を伝承していきつつ、危険な異常グマをピンポイントで捕殺するという重要な作業ゆえ、単に猟友会という趣味・ボランティアの枠ではなく、公的な権限で責任と保障をともにしっかり付与してプロとして雇い入れる必要があるように思う。この点、同じ危機管理という意味で消防や警察と同様だ。若グマの忌避教育を担うヒグマの専門家なり、最後の砦のクマ撃ちなり、いずれも公的なプロでなければなかなか成立していかないだろう。しかし、成立させなければ、北海道におけるヒグマ対策、被害防止、安全確保が破綻するのは時間の問題でもある。「いつかやります」ではなく、いま手をつけはじめなくてはいけないことのように感ずる。


あとがき
 北海道では、ほとんどの地域で、クマと言えば捕獲しか対策がなく、銃器に頼った捕獲一本槍が延々これまで続いてきた。近年、箱罠が各地で導入され、その捕獲数はますます増える傾向にある。ときには、まるで絶滅政策のような獲り方をしているケースもあるが、そういう地域に限って、捕獲数と比例するようにヒグマによる農業被害額や人里内での遭遇が増えているようにも見受けられる。経済被害、人身被害の危険度ともに増大しているわけだが、まず必要なことは、従来の対策を根本的に疑うことだろう。「箱罠を増やして獲っても獲っても被害が減らない。増える一方だ」とすれば、何か大きなことを見落としているのではないか?と疑うことだ。何か不合理があるから、延々思った通りの結果が導き出せないわけだから、これは自然なことだろう。
 あるいは、札幌でクマの市街地出没が起き始めているとしたら、裏山で何が起きているのかを、まず知ることだろう。そこを抜きに、出没したクマを1頭殺して取り除いたところで、山で起きていることを変えることにはつながらないから、根本的に問題解決には結びつかない。

 そしてつぎに、専門家の声に耳を傾けながら、何を見落としていたかを見出すこと。クマの生態から、習性、社会学などなど、ヒグマという野生動物がどういう生きものなのかを理解することだろう。とはいえ、現代科学においても、すべてが解き明かされているわけではない。科学的に完全に立証されていること。そこまでいかないが可能性が濃厚となっていること。いろいろだろうが、従来的な因習や先入観・思い込みから突っ走ると、だいたい間違えるし、ヒグマの場合、それはすなわち人里周辺での人身被害の危険性に結びつく。

 最後に、具体的な対策システムづくり、ということになるが、これは地域の問題の種類や程度、そして有している人材の数と質によってもいろいろだろう。ただ、従来型の駆除一本槍ではどうにもならないことは、ほぼ確かなので、捕獲とは別の多様な対策を講じつつ、将来につながるような方法論を必要としていると思う。
 例えば、出没グマを単に殺すのにも、市町村としては相応の予算がいるだろう。ところが、その捕獲はその場凌ぎ的な対応だから将来にはあまりつながらない。5年後も10年後も、延々同じ状況で同じことをやっていなければならないはずだ。それは、これまでの北海道各地が立証しているようなものだ。しかし、同じ予算で若いヒグマを一頭、我々が許容できる範囲にうまく教育することができれば、その効果は20年以上持続し、なおかつそのクマがメスならば、性質は子供に伝承され、母同様の好ましいタイプのクマが自動的に増える可能性だってある。もちろん、問題を起こさないクマならば、多少増えても我々ヒトにはさして問題はない。そういういい連鎖に持ち込めば、「クマはいるけど問題が起きない」という今ではちょっと考えづらい状況が、意外とすんなりつくれるだろう。
 「防除と駆除」で言えば、もし被害解消をめざすなら、これからのクマ対策のメインは明らかに防除だろう。
 数年前、ある町のヒグマによるコーン被害だけで年間1300万あったとされる。もちろん、これは言い値なのでさほど信頼に足る金額ではないが、とにもかくにも農家はそういう認識なわけだ。では、その1300万でどれくらい電気柵が張れるかをクマ用電気柵資材の相場300円/mから計算すると、43qあまり。実際の被害が言い値の半額だったとしても20qだ。
 もし仮にだが、この換算で電気柵を張れば、おそらく数年で町内一円のヒグマ被害は難なく解消するだろう。実際は、この後、捕獲一本槍で突き進んで、近年はヒグマの年間捕獲数が40頭前後で高止まりしているが、被害が解消に向かう気配さえなく、増加の一途をたどる。それだけならまだしも、市街地や人里周りにウロウロするクマも現れ、緊急対応も迫られたりするようになった。

 では、どうして北海道ではいまだに捕獲一本槍が続いているのだろう?
 それには、いろいろな情報の普及遅れや勘違いからはじまり、道庁や国政の認識不足まであるだろうが、北海道なら『北海道鳥獣保護事業計画書』に、被害解消の方向性はすでに明確に示されている。この指針の根拠法はいわゆる『鳥獣保護法』だが、環境省が告示として各都道府県に指針づくりの基準を降ろしていて、それに従い北海道でも「鳥獣保護事業計画書」が策定されている。しかし、これらには単に「クマを守りましょう」なんていう論調はない。概念もない。被害を防ぐことを前提に、クマも無闇に殺さないを実現するための告示であり指針になっている。環境省も道庁自然環境課も、「被害の解消」という大命題を明確にもっているわけだ。だから、この長い名前の指針を遵守してヒグマ対策をおこなっていけば、自然に被害の解消は達成できていく。
 ところが、被害解消のためのこの指針も、北海道では絵に描いた餅になり果てている。歴代の道知事の功罪もあるだろうし、道庁自然環境課・振興局の認識の甘さもあるだろうし、各自治体の鳥獣行政・農政あるいは農家個人個人の勉強不足もあるだろうし、普及啓蒙をおこなうべきヒグマの専門家の非力もあるだろうが、とにもかくにも、北海道では合理性を欠いた認識で不合理な対策をとり続けているからヒグマ問題が一向に解消へ向かわないばかりか、泥沼化したりする。
 例えば、先に触れた「防除前提の駆除」という考え方が、ヒグマ問題の解消の要となる。ここがカギなのだ。これを抜きに、ヒグマ問題は決して解消しない。農業被害も人身被害の危険性も減じていかない。にもかかわらず、道庁はじめ、そこに十分な努力と工夫が払われてこなかった。結果、防除が進まず、漫然と駆除一辺倒に偏ってしまう構図が北海道各地に出来上がってしまっている。
 各地の調査や被害防止の助言に行っていろいろを視察し、困り果てて農家には「騙されたつもりで電気柵を張ってみて」と勧め、農家は騙されたつもりで張ったりする。そして、秋になると、突然一箱のスイートコーンとともに喜びの手紙が私のもとへ送られてきたりする。こうして被害を防いで喜ぶ農家が増えれば、自動的に駆除も人里内の危険性も市街地出没も減じていく。それが道理だ。道庁に私と同じ論調で普及せよとはいわないが、それくらい積極的に変えていかないと、なかなか防除は普及しない。

 あとは、社会気質の問題だろう。経済的な合理性、人里の安全性、自然環境への配慮など、幾つか要素はあるだろうが、どれをどれだけ重視し、どういうスタンスでいかほどの努力と投資をおこなうか。その意欲の問題とも思える。現代は、100年前と異なり、一定の努力と投資でヒグマという動物を止め、無闇な捕獲と無縁に経済被害・人身被害を最小限に抑えることができる段階に既にある。

(岩井基樹)

 
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