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事件を読み解く


1.日高山系・福岡大ワンゲル事故の検証
2.苫前事件(三毛別事件)
3.「史上最悪のヒグマ事件」を読み解く
4.苫小牧のクマ騒動


2.苫前事件(三毛別事件)


 1915年(大正4年)の月、道北の留萌管内苫前村三毛別六線沢(現在は苫前町三渓)の開拓集落で起きたヒグマによる連続襲撃事件は、死者8名、とりわけ民家に避難していた女性や子供が犠牲になったという点で、「無惨」「恐怖」「巨羆」などという言葉とともに記憶され、「苫前村三毛別事件」として語られてきた。だが、それは、忌まわしい、ヒグマを敵として憎むためだけの物語だろうか。現在もこの国にクマとともに住む我々は、この悲劇から受け継ぐべき教訓はないだろうか。
 林務官という仕事の傍ら、この事件の調査発掘に努め、当事者への克明な聞き取りを重ねた木村盛武氏の記録と分析を元に、ヒグマの動きと人間の対応を検証してみた。木村さんは元ヒグマの会監事。年に旭川営林局の部内誌「寒帯林」に事件の調査記録を発表。いくつかの著書でも触れ、年に「慟哭の谷」(共同文化社)にまとめている。その記録は、戸川幸夫「羆風」「羆荒れ」、吉村昭「羆嵐」などの小説に基礎資料として提供された。

■事件の経過
1,予兆
 苫前町は日本海に面する町だが、三毛別地区はやや内陸に入った農村部で、六線沢は中でも海岸から約キロと奥まった新しい開拓地だった。入植後年足らずの戸が、細長く沢沿いに点在していた。
 山の中ではヒグマの痕跡は多いが、当時でも人家付近まで出てくることは滅多になかったという。それが月上旬から下旬に計3回、池田家の軒下に吊したトウモロコシを夜中にクマが荒らした。さらに月に入って松村家でも同様の被害があり、2人のマタギ(狩人)が発砲したが、傷を負わせただけで取り逃がした。足跡は見たこともない大きさだったという。すでに雪が降り始め、通常なら冬眠に入っている時期だ。

2,太田家第1襲撃
 最初に事件が起きた月9日は、冬の交通路である氷橋を造るため、男衆は総出で木の伐採作業中だった。午前中、太田家が荒らされ、蓮見幹雄(6歳)の遺体が残され、妻マユ()も近くの山林で食害された状態で翌日見つかった。
 木村さんの推測では、以前と同じように軒先のトウモロコシを食おうと現れたヒグマに、家の中にいた2人が気づき、大声に逆上したクマが室内に入り込んで子供を一撃で殺し、妻マユをくわえて連れ去ったらしい。クマの出入り口はいずれも山側の窓だった。

3,太田家第2の襲撃
 翌日、朝から人余りの捜索隊が、クマの足跡を追跡。太田家から150bほど離れたトドマツの付近で大きなヒグマが急に飛び出したが、銃5丁のうち発射できたのは1丁。それもはずれ、クマは逃げた。
 マユの遺体はこのトドマツの木の根元に埋められていた。足と頭を残し、ひどく食害されていたという。
 2人の遺体は太田家に安置され、親族ら9人だけが通夜をした。「獲物があるとクマが来る」と言われ、村人は通夜にはあまり来ていなかった。
 午後8時半ごろ、ヒグマが太田家の壁を破って突入した。棺桶をひっくり返し、遺体を食べようとしたらしい。出席者の1人が銃を撃ったので、クマはすぐ逃走した。人々は梁の上や便所に隠れて無事だった。

4,明景家の襲撃
 太田家から500bほど離れた明景家には女性や子供ら人が避難していた。大人は男性1人と女性2人、あとは子供だった。他の集落などから来た若者や猟師らは、別の家に集結していた。
 太田家の通夜を荒らしたヒグマは午後9時ごろ、明景家を襲った。「クマは火を怖がる」と信じられ、いろりに火を燃やしていたが、効果はなかった。
 室内を逃げまどう子供たちが次々と頭や胸をかまれた。妊娠中だった斉藤タケ()は「腹破らんでくれ。喉食って殺して」と叫びながら、胎児とともに亡くなったという。このとき、明景金蔵(3歳)、斉藤タケ、巌(6)、春義(3)と胎児の5人が死亡。3人が重傷を負い、うち1人は3年後に亡くなった。

5,クマは逃げ人も去る
 近くの家に集結していた約人の救援隊が明景家を囲んだが、ヒグマの気配や人のうめき声で、家の中には入れず、発砲もできなかった。1時間あまりして、ヒグマが飛び出したが、このときも一番近い射手は不発で、ヒグマは逃げおおせた。
 その夜のうちに、六線沢のすべての住民は、下流の三毛別に避難した。真冬の夜の雪道を、たいまつを手に逃れたという。約人の救援隊だけが、集落に残った。

6,クマ狩り本部結成
 日になって、大事件の一報が北海道庁に届き、折り返し、羽幌警察分署出動の指示が出た。熊狩り本部が六線沢に近い農家に設けられ、本部長は警察分署長、副本部長は帝室林野局の職員と分教場の教頭。最大の方針は、問題のヒグマを三毛別川より下流に侵入させない、というものだった。
 その夜、葬儀を待つ遺体でクマをおびき寄せる、という苦肉の案が出され、6遺体が明景家に置かれた。室内にやぐらを組んで射手が待ち伏せしたが、ヒグマは家の近くまで来たものの、気配を察したのか、中には入らなかった。
 翌日には、六線沢の無人の農家をヒグマが次々と荒らし、ニワトリを殺し、穀類を食い、衣類を引きずり出した。この日だけで被害は8軒にのぼった。
 日午後8時ごろ、三毛別川の氷橋を見張っていた討伐隊員が、暗闇で動くものに気づいた。「人か、クマか」と声をかけ、返答がないところに数丁の銃を撃ちかけたが、またも不発が多く、クマは逃げ去った。

7,射殺
 日朝、前夜の川べりの射撃地点では、血痕が残り、クマに命中弾があったことは確かめられた。数人の討伐隊が、雪上の足跡と血痕を追跡した。
 午前時ごろ、隣村の腕利き猟師、山本兵吉がいち早くミズナラの大木の下にいるヒグマを見つけ、2発発射して胸と頭に命中させ、ヒグマを撃ち取った。
 推定体重は340`、体長2・7b。7〜8歳くらいのオス。背から胸にかけて「袈裟懸け」と言われる白い模様があった。
 射殺直後、日から日にかけ、大暴風雨が留萌・宗谷地方を襲い、住民はこれを「羆嵐」と呼んだといい、多くの小説や映画のタイトルにもなっている。


■木村氏の分析
木村盛武さん 2009年春、ヒグマの会記念誌編集委員3人が、札幌市南区の木村盛武さん宅を訪れた。木村さんは三毛別を取材した当時の機材や写真などを出してくださり、ノートを見ながら、事件の経過とその要因や人間側の対策の問題を論じた。
 木村さんは「この事件は本当に残念だ。責めるわけにもいかないが、しっかり対応すれば、襲撃を未然に防ぐか、少なくとも2番目の明景家の被害は防げた可能性がある」という。
 まず、ヒグマ接近の予兆があった月の3件のトウモロコシ荒らしだ。「軒先の作物をとるのは、人を恐れなくなってきている危険な兆候。三毛別は入植して日が浅く、ヒグマの通常の行動と、異常行動の区別がつきにくかったのだろう。最も大事にされていた馬が無事だったので、安心していたというか、無関心だったような印象だ」
 また、数度のチャンスに射撃に失敗し、2度も「手負い」にしてしまったことも、大きな失敗だ。「銃の手入れも操作も悪く、ともかく撃ち損じが多い。クマに対してはそれほど熟練していないうえ、寄せ集めの面々で、牽制し合うというか、連携がよくなかった。まるで烏合の衆」と厳しい。
 組織にも問題があった。「熊狩り本部」といっても、トップは警察分署長、副隊長は林務官と教頭先生。素人が指揮を執ると、あまりいいことはない。人数も数人と多いが、肝心な追跡・射殺という場面では、あまり役には立っていない。実際、あとから参加した隣村の腕利き猟師が、事実上1人で仕留めたのが今回の結末だ。
 そもそも、このヒグマはなぜこんな連続襲撃をしたのだろう。
 最初の太田家の2人殺害について、木村さんの見方は、「トウキビ狙いだったのが、騒がれて逆上し殺害」というものだ。「マユさんは室内で強く抵抗した跡があるといい、それがかえってクマを攻撃的にしたのではないか。不確かだが、このクマが以前、ほかの場所で人を襲って食べた、という話も伝わっている」
 クマはいったん手にした獲物には強く執着する。太田家の通夜を襲ったのは、その例だ。「獲物を取り戻す、という行動は、ほかでも見られる。人間にとっては大切な肉親の遺体を回収し、通夜を営むのは当然だが、クマはそれを獲物を奪われたと思いこむ」
 太田家を襲って撃退された後、ヒグマはすぐに女性・子供ばかりの明景家に侵入する。クマは危険を避け、男たちが集まる家ではなく、「獲物」になりやすそうな家を襲撃した。
 「人間の方も油断というか、判断の誤りがあった。明景家は大きな家だと言うが、成人男性は1人だけ。銃も持っていない。人くらいの射手が別の家に集結していたのだから、護衛をつければいいのに、それをしていなかった。リスクの判断をしていないし、きちんと判断する人もいなかった状態なのだろう」
 木村さんは初冬という時期にも注目する。「普通なら冬の穴ごもりに入る時期。穴に入らず、肉食に依存するタイプのクマだったのかもしれない。海外でも『穴持たず』は危険だと恐れられている」

 木村さんは「ヒグマは『猛獣』ではなく、『強獣』だ」という。力は強く、牙や爪も鋭いが、本来ならむやみに人を襲うことはない。何かのきっかけで、異常な行動を起こすようになる。「三毛別のこのクマも、どこかで特殊になったのではないか」と語った。
(山本牧)


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