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事件を読み解く


1.日高山系・福岡大ワンゲル事故の検証
2.苫前事件(三毛別事件)
3.「史上最悪のヒグマ事件」を読み解く
4.苫小牧のクマ騒動



3.「史上最悪のヒグマ事件」を読み解く

 史上最悪のヒグマ事件「三毛別事件」―最悪だったのは現れたヒグマだったのか、それともヒトの対応だったのか、そこを解いておかなければならない。

 研究によればヒグマの知能は「イヌと霊長類の間」とされ、非常に高い。学習能力に優れ、経験によって行動パターンを自在に変化させる。
 ただし、大それた人身被害を及ぼすような「異常グマ」「危険グマ」の多くは、ある日突然そうなるのではなく、何かの偶然のきっかけから徐々に変化し、そうなってゆく。特に一度食べた人為的な食物に関して、ヒグマは「執着」「常習化」し、そしてそれを漫然と放置すれば、行動のエスカレートを起こす
 だいたいにおいてヒグマは当初、「こそ泥タイプ」で、あくまで人目を盗んで食料を得ようとする。だが、常習化するに及んで、「強盗タイプ」に変貌しやすいのだ。三毛別事件でも、軒下のトウモロコシ荒らしが、家人に見つかって「居直り強盗」となり、より攻撃的な殺人者へと変貌した可能性が見てとれる。
 同じ「こそ泥」でも、それが人家やテント脇であった場合は、既に変貌を起こしかけている証拠だ。ヒグマの生存戦略である「警戒心」が薄らぎ、もしかしたらヒトをなめてかかるようになっている個体だ。この段階のヒグマは、ヒトに対する距離が近くなり、何かの拍子に逆ギレして攻撃してくる可能性が高くなる。
 つまり、大事件を引き起こすようなヒグマは、その前に必ずと言っていいほど、ヒトの周辺に対し、何らかの予兆を見せる。

 三毛別事件では、事件の起こる1カ月ほど前から軒先のトウキビがヒグマに食べられる被害が生じていた。恐らく、この地域ではトウキビをはじめとするいろいろな食物の管理が甘く、加害グマは何カ所かで同じような行為をしつつ、「人家=エサ」という関連づけが行われたのだろう。
 これは、食べられた側からすれば単純にコソ泥的被害なのだが、人為物による「餌付け」の一種であり、ヒグマはその「場所」か「エサの種類」か「ヒト」のどれかに執着を持つようになることが多い。その場所が人家などヒトが活動する空間であった場合は、何かの拍子に人身被害に結びつく可能性が高い。
 通常、ヒグマは成長とともに「孤立性」と「警戒心」を獲得してゆくが、三毛別の加害グマは、軒下のトウキビを食べにくること自体、かなり警戒心を欠いた状態で、成獣としては異常な状態だった。つまり、軒先のトウキビを食べられるという、一見些細なような出来事が、より深刻な被害の前兆だったのだ。
 地域にせよ個人にせよ、対ヒグマのリスクマネジメントの鉄則は「早期発見・早期対処」。先手先手をめざすことだ。前兆が現れたときにそれを見逃さず、即対応しなくては、状況はスパイラル状に悪くなる。
 対応の要は「予測」である。次に何が起こりうるかを予測し、それにきっちり対応する。そのためには、「ヒグマを正しく知る」という、あまりに当たり前のことが必要不可欠となる。つまり、正常なヒグマの暮らしと、そのヒグマがいかなる経験・学習によってどう変わりうるかを、事実をもとに理路整然と理解する必要がある。世の中に浮遊する「風説」や「思い込み」に左右されてはならない。適切な対応をするには、訓練を受けた専門家と、事態を合理的に把握する一般市民の双方が必要だ。

 では、万が一「前兆」を見逃し、予測さえ難しい悪い事態になってしまったときはどうするか。
 これは、100年前も現代も変わらない。実力をもってそのヒグマを止める―つまり、優秀な「クマ撃ち」が必要になる。
 三毛別では、何人もの射手がいたが、手入れも訓練も不十分な、烏合の衆だった。仮に現場の山林に軍隊や警官隊を導入しても、そんな100人のクマ素人より、、たった1人の優れたクマ撃ちのほうが頼りになるし、三毛別でもそうだった。
 銃というのはただ持っているだけでは意味がないばかりか、危険でさえある。仮に射撃の腕がよくても、ヒグマの行動を読み、対峙した経験が乏しいと、やはり威力を発揮しない。それは、高性能・高威力の銃器を扱う昨今のハンターも同様だろう。
 銃はこの1世紀で着実に高性能になったが、ハンターはクマ撃ちとしてそれだけの進化を遂げたのか。残念ながら否である。
 もう一つ、三毛別で気になるのは、「地域のリスクマネジメント」が弱い点だ。2人が亡くなった太田家の通夜のとき、多くの住民はヒグマを恐れて太田家に近づかなかったという。本来なら、地域で団結して十分な警備をして太田家に集うか、それとも、遺体とともに全員が下流方面に避難するか。太田家では結果的に被害を免れたものの、これはリスクマネジメント上、地域の団結や判断が機能していなかったと言えるのではないか。

 三毛別事件の経過を見ると、前兆の見極め、地域全体の情報共有とリスク回避、危険グマを実力で止める準備、被害者の遺体の警護など、さまざまな点で加害グマの後手を踏んでいる。そして、無知ゆえか油断からか、数人の救援隊を揃えながら、無防備な場所を作り、そこを破られ大惨事となった。
 ヒグマは「鼻でものを見る」と表現できるほど、嗅覚が鋭い。暗闇でさえ、狙撃陣が待ち構える場所を敬遠し、女性・子供しかいない場所を襲撃したのは、決して偶然ではないだろう。

 昨今は狩猟者の高齢化・減少ということが言われるが、もっと切実なのは「空洞化」、つまり、現れた危険グマと対等に渡り合い、迅速確実に射殺できる「クマ撃ち」が、狩猟者の総数以上に急減している現実だ。北海道には既にクマ撃ち不在の地域があり、それはさらに拡大するだろう。
 三毛別事件が起きた同時代の米国。1920年の夏から秋、イエローストーン国立公園内でカリフォルニア大学博物館の標本用のヒグマ(グリズリー、ハイイログマ)を5頭捕殺する許可を得たサクストン・ポープ博士とアーサー・ヤングという2人の若者は、5頭すべてのヒグマを弓矢だけで倒した。
 当時の「弓矢」は、ライフルはおろかショットガンや村田銃よりも命中精度が低く、射程距離もはるかに短い。2人はその道具をあえて選び、ヒグマの捕殺に向かったのだ。
 彼らは、ヒグマの習性を詳細に知り、ヒグマを追い、裏をかいて近づき、弓矢の射程に入れる技術を持っていた。さらに、ヒグマの解剖などから、どこにどういう角度で矢を当てればヒグマが倒せるか、ミスを犯せばどんな反撃にあうかなど、実践面での知識と覚悟と勇気を持ち合わせていた。この例は、私が知る中で、「ヒグマに対抗してヒトがどこまでできるか」を示す最も端的な例である。
 100年前の北海道。シートンでもホープ博士でも、ほかの水準以上のクマ猟師でもいい、たった一人の「本物のクマ撃ち」が三毛別にいたら、恐らく「史上最悪のヒグマ事件」は起きていない。凶暴化したこのヒグマを手早く仕留められたからではない。事件の起きるはるか以前に、このヒグマのエスカレート・凶暴化自体を予測し、阻止していたはずだ。「本物のクマ撃ち」とは、「クマを知る人」のことである。

 当時の苫前の人々は、その知識と気力の限り、できうる対応をとったのだろう。だから、彼らを責めるのはナンセンスだ。むしろ大切なのは、私たちが彼らの痛みから何を学ぶかだ。

 事件から約1世紀が流れた。エジソンの発明は、パソコンや携帯電話の便利さに変わった。世界中のクマ撃ちや研究者によって、クマのいろいろな事実が解き明かされ、銃器や防除手法などの技術・資材も進化してきた。
 では、果たして現代の北海道の人―住民・行政・ハンター・観光客はヒグマを知ったのか? そして、三毛別の事件から学び、合理的な対応をとれているだろうか?
 残念ながら、否である。
 三毛別の軒先のトウキビと同じく、現代のヒグマも、人里や農地で生ゴミや農産物などの人為的な餌をあさり、シカ肉を仕込んだ箱ワナが不用意に人里に置かれている。意識、無意識は別として、周囲のヒグマを人里に誘引し、特に若い不注意な個体をアトランダムに捕獲し殺している。問題グマの識別・排除どころか、明らかな冤罪グマの発生である。
 知能の高いヒグマは、優れた記憶力の他に高い類推能力を持つ。人里で人為物を食べ、ヒトのにおいのついたゴミを食べたヒグマは、ヒトや人里に近づくクマへと変わる。また、箱ワナの多用は、「ワナを警戒し、ワナにかからない個体」(トラップシャイ)を生み出す。昨今の箱ワナへの過度の依存は、ヒグマを追跡して捕殺する技術がない、「クマ撃ち不在」に起因しているので、トラップシャイが蔓延した地域で「異常グマ」が現れた場合、ワナも効かず、射殺もできないというお手上げ状態が生まれる可能性が高い。
 こうして見ると、この1世紀の科学や生活面の進歩に比べ、北海道のヒグマ対応は、三毛別事件の時代からほとんど変化していないことに気づく。
 特に中山間地域で過疎化が進み、人里のエネルギーが落ちている現在。もしかしたら、三毛別事件再来の可能性がどこかで進行してはいないかと不安になる。
 今からでも三毛別事件に学ぶべきことは多いが、最も根本的で重要なのは「ヒグマを個体識別し、1頭1頭を評価・判断する」ということだろう。
 学習能力の高いヒグマは、個性のばらつきが激しい。それぞれの経験や学習で、行動は千差万別に変化する。だからこそ、単に「クマだ!」とひとくくりに考えるのはダメなのだ。「クマが出た」という抽象的な見方をしている限り、問題グマが示す微妙な「前兆」を見落とし、被害の抑止ところか、「冤罪グマ」の捕殺を漫然と続けることになる。予測や個体識別なき駆除活動は、ヒグマに対する無差別な復讐やテロと同じことだ。

 狩猟者の減少、人里の過疎、トラップシャイの蔓延、そして住民の無関心を考えると、現在の、そしてこれからの北海道は相当に危うい。これに対し、行政がとるべき手法は、2つの専門家を抱えることだ。1つは、前兆を感知して効果的な対策を地元に提案し、捕殺の判断も行う現場型の「ヒグマ対策員」。もう1つは、最後の砦としての優れた「クマ撃ち」。この2つの専門家を育成配置し、また彼らの活動を地域が理解することが、三毛別事件の再来を防ぎ、本当の意味でヒグマと北海道民が共存できることになるのだろう。

 「三毛別事件」は、その凄まじさから幾つかの小説・映画の題材にもなり、後世のヒトを震え上がらせるヒグマ事件として世の中に印象づけられた。
 町の郷土資料館を訪れて驚かされるのは、いくつかのヒグマの剥製とともに、ヒグマのさまざまな食物―その大半は植物質―が展示してあることだ。これは、ヒグマ世界に入るビジターセンターと同じ展示手法だ。つまり、苫前では、三毛別事件を「史上最悪のヒグマ事件」と紹介しながらも、「ヒグマ憎し」には終始していない。少なくとも、「ヒグマを知る」方向へ意識が向いている。この町は、事件をさまざまな角度から克服し、新たなる一歩を踏み出しているように私には感じられた。
 三毛別の被害者の供養からか復讐からか、被害者1人につき10頭のヒグマを殺すと誓い、それを達成した腕のいいハンターがいたと聞く。その気持ちは理解できないわけではないが、現実的にそれでは未来につながらない。ヒグマの被害解消につながらないばかりか、ヒトの生き方として未来につながらない。もし、そのハンターが、復讐の過程でヒグマという野生動物の正体を見定めたとすれば、彼は被害者とともに殺したクマの供養をしただろう。
 苫前の資料館で私が感じた方向性は、復讐とは正反対のものだ。どうしたら事件を繰り返さないかに意識が向いている。三毛別事件を小説や映画で見聞きしてヒグマの幻影に恐怖し、いまだにそこからしかクマに対応できない北海道の多くの地域から比べると、かなり先に進んでいると思う。(岩井基樹)


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