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ヒグマフォーラム講演録
「羆撃ちが語る近ごろのヒグマ」 久保俊治さん
テーマ『私たちはヒグマとどう向き合うか〜札幌のヒグマ問題を巡って』
2012年11月10日 エルプラザホール
札幌でヒグマ出没が続き、それに関連して最近のクマの様子ということですが、札幌の騒動のようなことは、道東では何10年も前からよくあったことなんです。
私のいる知床ですと、連山があって、沢があって、海岸がある。普通はクマは山にいますが、一部のクマがある時期、なぜか海岸に出てくるようになる。浜には漁師の家が並んでいますから、次々と目撃例がでててくる。目撃も増えるし、クマの行動も伝播するんですね。
札幌でいえば、手稲山から西野、さらに南区へ。普通なら出没が収まる時期ではないのに、10月中にピタっとでなくなる。移動とか、伝播があるようなんです。
今どきのクマはシカをかなりの頻度で食っています。知床では岬の草原地帯で食べる習性が生まれたのが、クマの文化みたいに広まったと考えています。
■しつけ悪いクマが増えた
クマの習性という点では。この5、6年、すごく変わってきています。ワナに簡単にかかるクマが増えている。箱ワナでも何でも、気にしないで入ってしまう。湿地で足に泥をつけて、それを気にしないで歩くから、簡単に足跡をつけられる。ほんと、母グマの教育が悪いです。
それから、魚(サケマス)を捕る時も、昼間、人の見ている前で平気で捕っている。シカを獲った時、土饅頭に埋めないで、食べ散らかすクマも多い。全体に雑になってきています。
シカを獲った時、なぜ土饅頭に埋めるのか。魚を獲った時は、ただ食べるだけですね。シカのような貴重な獲物は、土饅頭に埋め、「俺のものだ」と宣言する。土饅頭には、宣言する効果があると思う。それが、簡単にシカが獲れるようになり、魚みたいにただその場で食べ散らかすようになってしまった。
最近は栄養がいいせいか、年齢の割に大きいクマは多い。でも、親から受け継ぐべき、もっとも大切なもの、注意力とか警戒心とか、それがなくなってきている。
これは、対人間の接触でも同じことが言えます。人間を人間として認めることが少なくなっている。なめてきているんだろうか。
■個性の違いは大きい
それと、クマの個性の差は大きいです。根性の悪いのと、そうでないのと。犬や猫も個性があるでしょ。クマも同じ。「クマはクマ」でひとくくりではなく、1頭1頭に違う個性がある。
保護するにも駆除するにしても、そういう考えを人間の側も身につけないといけない。意識を変えてほしい。個々のクマの行動や習性をどうつかむか。これからのクマ対応は、それが重要になります。
鉄筋で作った箱ワナがあるでしょ。あれに入ると、鉄に牙や爪をかけてぼろぼろになってしまう。そうなったら野生には戻せない。殺すしかない。あの箱ワナは、殺すためだけの道具です。
今は、クマの性質がすごく変わってきている。クマはこうだ、と決めつけないで、動物の目線になって、彼らが何を考えているかを知ろうとしないと、共生なんてできないです。
■冬眠前の母グマ
クマの冬眠穴は代々受け継がれ、毎年は入らないけれど、何10年おきかに使う。その穴に入る親子のクマは、足跡の付き方が全く違います。
雪が降ると、母グマは子グマに穴入りの準備をさせる。食い物のないところで10日余り、じっと潜ませる。この時期の子グマを撃つと、胃が収縮して空っぽなんです。母グマは、準備が整ったら、穴に行こうと決心する。決心した母グマはフラフラ歩きません。子グマもちょろちょろしないで、びたーと必死に親について歩く。遠いときは、直線で50キロくらいは歩きます。
穴の場所に近づくと、母グマは立ちあがって周りを見て、空気をかぎます。思い出をたどるようなしぐさです。そうやって、母子で穴に入ります。
そんなクマも、最近は本当にしつけが悪い。シカやサケマスが簡単に獲れるようになって、栄養がいいのと、教育が悪いのと両方。体ばかり大きくなり、変に自信はあるが、肝心の警戒心が薄い。
知床の東側に砂防ダムの下にサケがたまる場所がある。そこの通うクマは、平気で送電線の下の刈りわけ道を通ります。昔はそんなことはしなかった。ちゃんとヤブの中を歩いていました。
デントコーン畑を荒らすクマも、以前なら夜にコーンを食べ、朝には近くの山に引き揚げた。それが今は、畑に入りっぱなし。機械で収穫が始まると、やっと逃げ出す。クマが好きな私も、本当に愕然としてしまいます。
■過剰反応は逆効果
札幌のクマ騒ぎは、好奇心や冒険心のあるクマが引き起こしたものだから、人身被害が起きる可能性はそれほど高くない。過剰反応するほうが、クマにも人にも良くないと思います。
よく「エサ不足で出てきた」と言われるが、そんなものではない。自然界に生きるクマは、実りの豊凶に応じていろんな代替の食物をもっています。不作の年でも、斜面の北と南では「なり」が違う。クマは丹念に歩いて、それを知っています。
クマの数自体は、増えても減ってもいないと思います。ただ、早く大きくなるクマが多い。シカを食うせいでしょうね。いっぽうで、山沿いにはフキを食べている小さなクマもまだいます。
昔から残飯を山に捨てると、クマが味をしめて危ないと、山で生活する人はみんな知っていた。これは今も大事なことです。
クマには人間関連のものを「自分のもの」と思わせないことが重要です。クマは「自分のもの」と思ったら、万難を排して取りに来る。それが危ない。
私の家近くに、10年以上何もしないクマがいました。それが突然牛を襲った。牛は近くのヤブに引きずり込まれ、そこで食い荒らされていました。そのクマを駆除したら、1週間もしないで別のクマが入り込み、しかもまた牛を襲いました。このクマは、獲物の牛を埋めて土饅頭にしていました。
牛を襲う行動は、1頭目から2頭目のクマにスムーズに引き継がれた。前のクマのしたことが、簡単に理解されたようです。
どうやら土饅頭は「俺のものだ」という強力な宣言のようです。2頭目を駆除した後、次のクマが来るまでには1年近くかかっています。
■「普通」につきあう
人間がクマとどうつきあうか。「普通」でいいと思います。クマも、個性のある生き物です。人間も考える生き物のはずです。
暗くなったら気をつけよう。天気が悪いが大丈夫かな。犬にだって、この犬は機嫌が悪そうだから用心しようと考えますね。
そうした感覚は、人間が大昔から持っていた能力の一つだと思います。
私は狩猟をやっていて、牛飼いになりましたが、生き物を生き物としてみる、この感覚はとても役に立ちました。クマと付き合うのは、怖い、カワイイでは片付かない。普通の生き物として向き合うことが大事だと思います。
私の文章で、「昔のことをよく覚えている」と言われますが、言葉や文字の記憶ではありません。山に入ってみたもの、感じたこと、みんな映像のように覚えています。そのまんま書いているだけです。
■くぼ・としはる ハンター、小説家。1947年、小樽生まれ。幼い時から父の狩猟に同行。米国の狩猟ガイド養成学校に学び、クマハンターを経て、知床半島の基部、標津町で肉牛牧場を営む。ヒグマとの緊張感あふれる対峙を描いた著書「羆撃ち」(小学館)はベストセラー。
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