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最前線に暮らす

 ヒグマ(グリズリー、ブラウンベア)は北半球に広く分布していますが、その中でも北海道はヒトとヒグマがともに高い密度で、隣り合って暮らしている、希有な地域です。
 その「最前線」では、ヒグマを知り、あつれきを避け、問題を解決するために、どんな努力と手法が必要なのか。北海道の東部、遠軽町丸瀬布で、ヒグマの生息域のまっただ中に住み、ヒグマ調査を続けている岩井基樹会員の活動から、ヒグマ対策の考え方と具体策を報告します。
 ここに述べる手法や見解は、現在必ずしも一般的ではなく、学説として実証されていないことも含まれます。一つの積極的な実践例としてお読み下さい。


プロローグ―――クマに何が起きている? 


斜里市街地出没市街地出没
 2010年10月18日、サラリーマンが昼休みを迎える直前の時間帯、オホーツク海に面する知床・斜里町の市街地はにわかに騒然とした。その商店街のアスファルト上には、2頭のヒグマがまるで野猫のように軽快な足取りで歩いていた。2頭は時折、人目も気にせずじゃれ合い、何かに興味を持つと若グマ特有のしぐさで好奇心を露わにした。これを間近に見た町民は一瞬うろたえただろう。
 斜里町というのは北海道でも野生動物対策が一歩抜きんでた町である。独立した環境保全課・自然保護係を有し、そこにはその筋の博士クラスの人材をそろえている。世界遺産となった知床国立公園を抱え、ヒグマ対策でも間違いなく最も進んだ町と言えるだろう。我々がめざすべきヒトとクマとの共存の形が、この町にはあった。その斜里町でこのような出来事が起き、流れたその報道は北海道民に衝撃を与えた。
 斜里で何が起きたのか? 幾つかの推測はあるものの、残念ながら、こればかりは簡単にわからない。斜里市街にクマを導くコリドーとなりうる海岸沿いの防風林と、その付近に投棄されるサケの残滓が母グマを斜里市街地近くまで導いた可能性もあり、世界遺産となった知床半島での観光客・カメラマンへの慣れなども影響したかも知れないし、もしかしたらこの出没個体特有の性質が起因していたかも知れない。いずれにしても、斜里周辺を取り巻く環境と、その環境がつくってきたこの個体の性質を捉えていかないと、なかなか事件の全容を信頼に足るレベルで云々することはできないだろう。

2011年・札幌
 まるでこの斜里市街出没が何かの予兆となっていたかのように、翌2011年、上半期から北海道各地で市街地出没が起こり、秋に入ると190万都市・札幌周辺でヒグマの出没が相次いだ。道庁は「ドングリの凶作」をクローズアップしたが、ヒグマの場合、必ずしもこの説は適用できない。ヒグマを専門に扱ってきた研究者・活動家からは「若グマの増加説」「新世代ベアーズ化説」など幾つかの仮説が出されたが、立証されていることは乏しく、全体像もはっきりしていない。
 ただ、この札幌西山塊からの市街地出没は、90年に廃止された春グマ駆除後20年経って順調にこの山塊のヒグマの生息数が回復してきた証ともとれ、また、山を歩き回ってヒグマを追跡するクマ猟が皆無となった現代、同時にそのヒグマを無警戒に育てている可能性はある。幾つかの複合的な理由でこれらの出没が起きていると考えられるが、2011年が山の実の不況による単なる異常年であるとするのは、危険な判断のようにも思える。
 メディアが踊りセンセーショナルとなった一連の出没騒動とは裏腹に、冷静に見るならば、札幌が西側で隣接する山塊は深く、ヒグマの生息地としては北大雪・天塩山塊・知床連山などの他のヒグマ大生息地に引けをとらない豊かな自然を持っている。その山の裾が落ちている札幌西側の林縁部は、いつ経験不足で無警戒な若グマ、あるいは人にストレスをさほど感じない新世代型の個体が、いつフラフラと歩いてもおかしくない環境にある。実際、定山渓はもとより簾舞周辺への北側から出没はかなり前から起こっており、その出没エリアから盤渓・円山まで10qもない。この距離は、ヒグマの足なら半日で楽に踏破してしまう距離だ。むしろ、札幌市がその状況をほとんど把握しておらず、無策だったところに何頭かの若グマがむしろ例年とさほど変わらぬありさまで出没した。それを、異常年たる噂も手伝って、まるで「異常な形で突然クマが出た」と認識されたようにも思える。
 札幌周辺のクマ騒動に関しては、札幌西側の林縁部を中心にこの山塊を広く調査してみないと何とも言えないだろうが、それを欠いたままこのエリアの合理的なリスクマネジメントを構築するのも困難だろう。


中山間地域
 一方、市街地への出没ほど大きく取り沙汰されることはないが、道内各地の特に中山間地域でヒグマ問題は慢性化・泥沼化の様相を呈し、毎年、農作物等の経済被害が深刻化しつつ、昼夜ともなくクマが徘徊する危険な人里での暮らしを余儀なくされている住民がいる。こちらの原因も一過性ではなく多種多様な原因が絡み合っているように思うが、ひとつ政策絡みの問題を指摘してみる。
コーン畑の逆ギレグマ 北海道では、農政サイドがデントコーン増産政策を推進しており、従来牧草地だった場所が次々にデントコーン農地に変わっているが、従来より、このデントコーンがヒトとヒグマの軋轢の主役となってきた。ヒグマはデントコーンの実が好物なのだ。しかし、多くの場合、その作付け変更で対ヒグマ防除対策が加えられることはない。バイオエタノールなどの影響もあって高騰したコーンを自家生産する。これはこれで合理性がありそれ自体は否定できない。しかし、その作物を大規模に増やしていく場合、当然ながらヒグマとの軋轢に配慮した対応がセットでなくてはならないだろう。現状では、国および北海道の農政が、、厄介な悶着のタネを北海道中にただまき散らしているようにも見える。
 クマの好むデントコーン農地が無防備にヒグマの生息地に隣接して広がれば、クマは自然にそこに降り、降農地を常習化させるだろう。農地の被害件数・被害額が増えるのは避けられないが、それに伴いクマの降里・目撃件数・遭遇数が自動的に増加する。つまり、農政サイドの経済優先のデントコーン増殖推奨計画は、人里の安全性を軽視した政策という言い方もできる。
 農地などでの経済被害解消は、できるだけ速やかに実現させていかなければならないが、そのために人身被害の危険性を増大させる方策をとり続けることはできず、また、今後さらに猟友会ハンターの高齢化・空洞化・減少も進むと予測されることから、合理的で総合的ヒグマ対策にシフトする必要に迫られている。

※空洞化というのは、ハンターの数はいるけれど、実際に山にヒグマを追って問題個体を的確に仕留めることのできる、いわゆる「クマ撃ち」がいなくなったことを意味する。



 実効的ヒグマ対策―――捕獲偏重からのシフト

ヒグマ対策の鉄則―――予測・先回りして原因をコツコツ防ぐ
 農地・人里にヒグマが降りるということは、その人里およびその周辺の安全性が崩れていることを意味する。ヒグマ問題というのは農地等の経済被害の側面からだけではなく、人身被害の危険性を含めた人里のリスクマネジメントとして総合的に考える必要がある。端的にいえば、子供を安心して遊ばせられない人里というのはあり得ない、という出発点だ。北海道においては農地の経済被害は「被害額」という数値化がなされ評価されるが、人里の危険度という定量化はなく、曖昧なままにされている。その曖昧さが、不用意にヒグマを里へ降ろし、近年の市街地出没などにつながってもいるように思われる。交通事故同様「人身被害>経済被害」という原則・道理をもう一度しっかり押さえる必要があるのではないだろうか。

 このリスクマネジメントは、その地域に関わるすべてのヒトによって達成されうる。要となる行政はもちろんその認識を高く持たなければならず、住民・農家・来訪者・ハンターなど、それぞれの立場で努力をし、ヒグマを人里内に引き寄せないようにしなければならない。コンポスト、生ゴミ、農地、シカ死骸などなど、それぞれ管理し、ヒグマのエサ場とならないように努めつつ、バッファスペース、電気柵、追い払い等のヒグマを遠ざける効果的な方法を適宜採用していくことになる。
 とにもかくにもエサ場となりうる場所が無防備に人里内に存在すれば、ヒグマがそこに降りるのは避けられないので、それらの場所がエサ場とならないように管理する、つまり先手の「防除」という方策を何より重視しておこなうことが肝心だ。

 従来の北海道のヒグマ対策は「捕獲一本槍」などと表現される場合もあるが、問題を起こすヒグマを捕獲するということだけでは、人里や農地に降りるヒグマの数を効果的に減らせない。問題を起こさせない方策をとっていくことで、はじめて人里の安全は確保され、必然的に農業被害も減るだろう。
 ヒグマ対策において、山でも里でも、中山間地域でも都市部でも、漫然と見逃し後手を踏めば踏むほど経費・労力はかさみ、危険度も上がってしまう。ベアカントリーの戦略的に「出くわしたらどうするか?」ではなく「出くわさないためにどうすればいいか?」であったのと同様、人里のリスクマネジメントの基本もまた、「降りたらどうすれば?」ではなく「降りないためにどうすればいいか?」に、今後の北海道では荷重をを移していくべきだろう。

切れるカードをできるだけ多く持つ
 従来の行政は、ヒグマ対策で切れるカードをほぼ1種類しか持ってこなかった。つまり、猟友会に依存した「捕獲」というカードだが、そのカードも今世紀に入っていよいよ力が減衰してきている。早急に行政が切れるカードを持たなくてはいけないが、その有力なカードが上述した事前の策、つまり先手の防除である。
 カードを持たない行政は、仮に対応を判断しても、目をつぶって1種類のカードを切り続けるしかなかった。それではトランプだろうとヒグマ対策だろうと勝てるはずはない。実際は、切れるカードを持たなければ判断しても選択の余地がないので、判断に必要不可欠な「ヒグマの知識・理解」とか「調査によって把握する」とか「道理や科学によって分析する」とか、そういう部分になかなか目が向かなかった。しかし、唯一のカードの減衰の中で、そうも言っていられない状況だ。
 行政は、人里の安全確保と農地等の経済被害を減じていくための実効的なカードを、十分合理的な判断のもと臨機応変に切れるよう、できるだけ多く堅持する必要がある。そして、判断の合理性を担保するために、事実本意にヒグマを知り、自らのエリア周辺のヒグマを一定レベルで調査・把握することが不可欠になるだろう。


 「餌付け」を避ける

 「ベアカントリーの心得」で示したように、様々な理由で「食いしん坊なヒグマ」に対しては、人里でもやはりこれが重要で、初手の戦略となる。
 ヒトが暮らしている限り、周辺の山のヒグマに焼き肉やハンバーグのにおいを嗅がれてしまうのは仕方がない。もしかしたら、山の斜面でそのにおいに誘惑されているクマもいるかも知れないが、この誘引だけでは、必ずしもヒグマ問題というのは生じないし、こじれない。また、単なる移動や好奇心でヒグマが人里を横断したり侵入したりするケースでは、ヒト側が注意喚起をするのみで往々にして問題は自然消滅する。ところが、経緯はともかく、そこの人為物を食べることによって、ヒグマは常習的に人里に降りるようになり、食べたのが勝手口脇のコンポストなら、そのヒグマは夜な夜な人家周辺を徘徊するようになるかも知れない。
 「餌付け」という言語の定義はいろいろでそのままでは議論が噛み合わないが、人為・無為にかかわらずヒグマに食物を提供し行動を変えることをこのように呼ぶとすれば、我々がまずおこなうべきは、ヒグマに対して人為物の餌付けをおこなわないこと。その方策をおこなったうえで、人里内に侵入してくる個体に対して適宜対応するスタンスになる。
 「餌付け」に関して行政が頼れるカード・方策・手法には、現在効果的であるとわかっている方法が幾つかあり、それは北海道の各地でおこなわれ、また効果が未知な方法も期待を込めて一部地域でテストされている。各地の取り組み)

 ある町で、過去に、病気などで死んだ牛を埋設処分する習慣があった。その習慣は改められたが、しばらくして牛舎を破って牛を襲撃するヒグマが現れた。別の町で同様の牛舎侵入が起きたので、過去に牛を埋める習慣はなかったか尋ねたら、渋々「あった」という答えが返ってきた。つまり、両町とも、牛の埋設処理がヒグマに対する餌付けになっていた可能性が高く、その個体は牛を食べ慣れ、何かのきっかけで牛舎侵入という暴挙を犯したのではないか。
 野生動物に対する餌付けというのは、カラスでもシカでもクマでも、大なり小なりその動物への援助になっている。北海道におけるシカの被害が50億円ということは、50億の高栄養な食物をシカに提供して援助しているということ。それだけ援助されていれば、もともと増えるように設定されたシカがさらに過剰に増えても仕方ない。
 ヒグマはシカほど援助が繁殖率に反映しないにしても、影響はあるだろう。少なくとも私の調査している遠軽町・丸瀬布エリアでは、「食い溜めの量と着床成功率に相関がある」と考え含めないと、ここ数年起きているいろいろな事象を整然と理解することができない。北海道では被害の側面からしか問題とされることはなかったが、そろそろこのあたりのことも事実本意に整理して語られるべきと思う。

 人里のエネルギー ―――人里空間の誇示と管理

 ヒグマほど環境に適応し暮らしを変化させる動物はヒト以外になかなか見つからない。遺伝子的にさほど違わないヒグマでも、暮らす環境によってまったく異なる生活習慣・性質を示す。環境には、いわゆる自然環境に加えて、「ヒトの暮らしっぷり」という意味での「人間環境」を考えなくてはいけない。「クマはヒトを映す鏡」などと表現されるが、ヒグマが、ヒトがどのように暮らしているかに順応してくる野生動物である以上、ヒグマ問題を考えるうえでヒトが我が身を振り返るスタンスも必要だ。ヒグマの動向に変化が現れたときは、まずヒトの暮らしに何か変化はないかをよく見てみると、解決の糸口が見つかる場合がほとんどだ。

 では、何故昨今の北海道でヒグマの降里が増えてきているかが問題となるが、それには中山間地域の過疎化・高齢化、燃料の炭・薪から灯油への変化、耕作放棄地の薮化、人里の断片化、牧草地からデントコーンへの作物転換、クマ撃ちの減少・高齢化などなど、じつに多種多様な理由が隠されている。基本的に人里空間が明確にあって、そこにおいてヒトの活動がしっかり営まれているか否かがカギとなる。空き農地・植林地などは手入れされることなく人里周りに薮が蔓延り境界が不明瞭になるとともに、言葉は悪いが自然がジワジワと人里に押し寄せてきている状態が北海道各地で見て取れる。

 餌付けに次ぐ人里における第二のヒグマ対策は、人里の活性をできるだけ維持すること。過疎化・高齢化などで維持できなければ、活性があるふりをしてでもしっかり管理してヒグマの側に人里空間を誇示することである。奇異に聞こえるだろうが、高知能なヒグマは記憶力だけではなく高い類推能力をも持ち、ヒトの管理意欲を具象化するだけで十分警戒心と忌避をいだくように思われる。ヒグマの降里にストレスを与える具体的な方法としては、バッファスペース、威嚇弾、ベアドッグによる追い払い、電気柵などがあるが、これらは単独で導入するのではなく、合わせ技でヒグマの心理に警戒心を累積させるのがコツだ。
 ヒグマは確かに知能が高く厄介な面を持つが、その高知能をむしろ利用して策を考えることで、はじめて合理的な方向となるように思う。


1.バッファスペース(緩衝帯)

 バッファスペースはバッファゾーン・緩衝帯とも呼ばれるが、要するに薮などがはびこらない見通しのいい空間である。警戒心の強いヒグマは薮などを移動して人里に近づき、またその薮に身を隠して自分を守る。「ベアカントリーの心得」で述べた通り、ササをはじめ植生が密な北海道のヒグマは特に「潜む戦略」を多用し、その薮が自分にとって有利であると認識している。ヒグマに対しては手に負えないモンスター的なイメージを多くの人は持っている。しかし、実際は隠れ潜みのスペシャリストなのだ。股下ほどの草地、あるいは太めの風倒木が一本転がっているだけで、そこに器用に伏せて身を隠し、気配さえ消す。農地と道道とキャンプ場に囲まれた、ほんの小さなササ藪にも隠れ潜んでじっと動かない。はびこった薮などあれば、ヒグマは自由自在に動き回る。そこで、人里周りのその有利を消してしまおうというのがバッファスペースの考えだ。農地であれば牧草地を山側に配置しその内にデントコーンを作付けする、あるいは植林地なら下草を刈り払うだけの話だが、電気柵などと合わせると、これがてきめんに効く。

 逆に、野生動物の通り道として好まれる「悪い回廊・バッドコリドー」と呼ばれる薮や林がある。これは野生動物回廊・緑の回廊(グリーンコリドー)をもじって言われるが、ヒグマは特にこのコリドーを使って移動し人里・農地に近づくことが多いので、このルートを断ち切ることも重要だ。
 わかりやすいバッドコリドーとしては、防風林・河畔林があるが、人里・農地周りで薮が帯状に連なっていれば、好適なヒグマの移動経路になりうる。昨今、市街地に突然ヒグマが出没する事例が増えているが、このヒグマの多くがバッドコリドーを伝って人知れず市街地の至近距離まで接近していることが多いように思う。この潜行性から、一部ではステルスグマなどとも呼ばれているようだ。
 札幌などの発展過程の大都市の場合、住宅地などが山間部に食い込みつつ、場合によっては「緑豊かな○×タウン」などを売りにする。緑豊かはいいが、その豊かな緑が、配置によっては野性動物の好適なコリドーとなりうる。つまり、ひとことで市街地出没といっても、地方・中山間地域の市街地出没は過疎化・高齢化が起因して人間活動のエネルギーが減じている場合が多いし、札幌などの隣縁部では、むしろ逆に都市の発展に伴う拡大が一つの要因となってヒグマの市街地出没が起きている場合があると、両極を考えることもできるだろう。

 中山間地域の実例にある農地整備を模式的に書いてみた。従来の図1ではバッドコリドー内に箱罠が仕掛けられたがヒグマの降農地は収まらず、獲っても獲っても被害がなくならないという状況が続いていた。山側にバッファスペースをつくり、ヒグマの被害は少しマシになったが、最終的に電気柵を回して被害が十分減じた。赤い矢印がヒグマの移動ルート。
バッファスペース実例 この例の場合、ヒグマの誘因物・目的地はデントコーンだが、そこへ続くバッドコリドーを消し、代わりにバッファスペースを配置してストレスをかけた。それでも、それまでここでコーンを食べ慣れた個体のうち無警戒なクマの一部は、この場所に執着し身をさらしてでもデントコーン農地に入る場合がある。最終的に電気柵をクマに利くように設置すれば、まず確実にすべてのクマを防ぐことができる。
 ここに見るバッドコリドー・電気柵・バッファスペースの理屈と効果は、農地のみならず人家やキャンプ場にも適用できることが、いくつかの事例で確かめられている。

事例)
 渡島半島では、海岸線の集落やゴミ捨て場にヒグマが接近するのを防ぐため、ヒグマの会が道路沿いの雑草刈り払いを実験的に実施。効果が認められて、道路メンテナンスの一つとして継続されている。
 知床・羅臼町では、山が海岸に迫る地形のため、人家裏の山側の草を極力刈り払い、ヒグマの接近を防ぐ工夫を町全体で行っている。
 富良野市では平野部の畑を荒らしたヒグマが、川沿いの河畔林を移動経路に使ったと推定されたため、橋の周辺の堤防や河畔のヤブを刈り払った。効果はてきめんで、作業終了翌日から、ヒグマの出没が止まった。このように、ヒグマ対策には相手の行動を読むスキルが欠かせない。
 


2.電気柵

電気柵 酪農の多い北海道では電気牧柵・電牧とも呼ばれるが、実際は放牧ではなく野生動物の侵入防止に使われることがほとんどだ。重要な点は、その動物によって電気柵の資材は同じでも張り方が異なる点。シカならシカ、クマならクマに適した設置方法で張らないと、効果は十分得られない。
 北海道で普及しはじめているシカ用電気柵は、地面から30〜40p間隔で5本程度電気ワイヤーを張るタイプだろう。それに対してクマ用は低く、20-40-60pという「1重3段」張りが基本となる。この基本形は渡島半島の検証で効果ありの結果が出ているが、最近では最上段を10p上げても十分利くことがわかってきている。
 ヒグマ用電気柵で重要な点は最下段のワイヤーの高さで、これを地面の起伏に合わせて20p以内に設置・維持しないと柵下の「掘り返し」をおこなうヒグマが現れがちだ。シカ用と比べてたった10pの差だが、効果には明らかな差が出る。
 次に大事なことは、ワイヤーにかかる電圧を7000V程度に維持すること。この電圧が下がってくると、仮にヒグマが触れても、受ける電撃が小さいため、電気柵を十分忌避するところまで学習させられない。結果、最下段20pを守らない設置方法のとき同様、「掘り返し」が起きやすくなる。
 電圧維持のメンテナンスは、草が伸びてワイヤーに触れ漏電しないように、定期的に柵下の草刈りをおこなう作業だが、日常的に携帯の電圧チェッカーでワイヤーの電圧を測る習慣をつけ、「あれ?電圧が低いぞ」となったときは、農地を一周してその原因を取り除く。ありがちなのは、大風のあと小枝が落ちて電気柵にもたれかかっている例や、設置当初はまだ電撃を学習していないシカが電気柵を引っかけて切ってしまう例だが、後者は通常、コツコツメンテナンスをしているうちになくなっていく。
 メンテナンスでどう工夫して楽するかというのが一種のキモだが、昨今では高機能・高出力の電牧器(パワーユニット)が普及してきているので、それを用いることで、伸びて電気柵に触れた草から、電撃によって次々に枯れ、メンテナンスは随分楽になる。
 この点で、電牧器を選ぶ際に、メーカーの出しているスペックで単純に選んではいけない。しっかりした販売代理店の営業マン・技術者に相談し、実際に十分余裕のある機種を選ぶのが無難だろう。

 設置方法とメンテナンス。この2点を守れば、ヒグマに対する電気柵の防除効果は非常に高い。農地・果樹園に対して渡島半島では100ほどの実例でほぼ100%電気柵がヒグマの侵入を防いでおり、また、農地以外では札幌定山渓「自然の村」・知床五湖木道・丸瀬布「いこいの森」などにも、それぞれ適した電気柵が導入されヒグマの侵入防止に高い効果を上げている。
(→「役立ちグッズ」電気柵)

電気柵は教育ツール
 特に高知能な馬という動物に対して、電気柵がどのようなメカニズムで効果があるかについては、一般に考えられているより複雑でなかなか深い。素人判断で見よう見まねで張ったり、「この程度でいいだろう」と妥協すると、思いもよらない副作用が出てくる場合さえある。
 よく耳にするのは「こんなものクマは飛ぶ気になれば一発で飛ぶべや!」という意見。これはまったく正しい。高さ60pのフェンスなどクマの身体能力的には簡単に飛び越えられるし、上述のように掘って下をくぐることもできる。格子状のネットフェンスが「物理柵」と呼ばれるのに対し、電気柵は「心理柵」と呼ばれる。つまり、動物が越えようとしても越えられない柵ではなく、「越えようとしない柵」あるいは「近づくことも敬遠する柵」というニュアンスで、このように呼ばれる。何をどのように学習させ電気柵自体を忌避させるかが問題なのだ。
 上で触れた「掘り返し」。これは、クマが「何とか工夫して中に入ろう」と思った段階で、じつは電気柵による防除は失敗していることになる。そういう余地なく、ヒグマが電気柵の前でUターンするように学習させるには何が必要だろう。
 まず、触れたときに高圧の電圧で電撃を与えること。これは先述メンテナンスで達成できる。もう一つは、最も効果的なヒグマの身体にワイヤーを触れさせることだ。最下段ワイヤーが地面から30p以上離れていると、ヒグマは頭を下げ、その下をくぐろうとすることも多い。その場合、ワイヤーが首から背中あたりに触れて、電流がそこからクマの手足を抜けて流れるが、それでは十分電気柵を忌避するまで持っていけない。
 ヒグマは「嗅覚の動物」とも呼ばれ、目の前に障壁が現れれば、まず鼻で確認に行く。結果、毛がなく湿った鼻先から電流が入るので、強烈な刺激となる。ヒグマはシカなどと異なり、人間同様の素足で歩くため、通電性がいい。これらの条件が全部揃って、はじめて確実な電気柵への忌避学習をさせられる。
 「学習させる」という言い回しを何度か使ったが、電気柵は単に動物を防ぐ防除フェンスではなく、教育ツールなのだ。ここをしっかり押さえて電気柵を導入しないと、効果が出ないばかりではなく、特に学習能力の高いヒグマに対しては、悪い学習をさせる悪いツールになってしまい、「掘り返し」も個人の問題というよりは、地域全体に蔓延しヒグマの防除自体が困難になる場合がある。

シカとクマを両方防ぐ
 ヒグマ保護管理計画がおこなわれてきた渡島半島の電気柵の検証は十分信頼に足り、私自身、世界の電気柵の設置事例を調べながら、最終的に渡島半島のヒグマ用電気柵ン効果を確認し、自分の地域に導入した。ところが、1つ難点がある。渡島半島には当時シカがあまり生息しておらず、防除というとヒグマがメインだったのだ。しかし実際、道内各地にはシカとクマを両方防がなくてはならない地域も多い、いやむしろ、それがほとんどだろう。
 現在、北海道で多く見られるのは、「シカの被害が甚大だから、とにかくシカ用電気柵を」と考え、ヒグマの防除を後まわしにしている例だ。しかし、この方法には2つ大きな問題がある。
 一つは、ヒグマが侵入している農地の電気柵のチェック&メンテナンスが、危険になるという点。特にデントコーンであれば、大半のヒグマはヒトの活動から遠い裏側で往き来をしていることに加え、慣れてきたヒグマはデントコーン農地の中に居座って日中を過ごしたり、近隣の薮に潜むことも多いからだ。実際にデントコーン回りの調査で、デントコーン畑からヒグマが飛び出て来たり、脇のササ藪から慌てて逃げ去ったりは、毎年何度かはある。農家もヒグマが来ていることくらいは薄々感づくので、逆に恐くてチェックやメンテができなくなる場合が多い。そうなると、電気柵の効果はどんどん落ちてシカにも利かなくなることもあるだろう。
 二つめは、シカ用電気柵で「掘り返し」をおこなって電気柵を越えることを学習するクマの数が、年々増加する可能性が高いこと。そしてまた、どこのどんな電気柵で覚えたかによらず、いったん「掘り返し」を学習し常套手段としてしまったクマは、別の農地に行っても、電気柵があれば掘り返してくぐろうとしてくる場合が多い。最悪の場合だが、きっちりクマ用として張って運用されている電気柵であっても、その方法で越えてくる可能性がある。
 この二つの理由で、クマが降りてくる可能性のある地域で電気柵を導入する場合は、はじめからクマとシカに利く電気柵を回す必要がある。
 シカとクマのダブル防除の柵は「20-40-70-100-130p」の「1重5段」張りで、下3段がクマを防ぐためのワイヤーだ。もし仮にすでに「1重5段」のシカ用電気柵を設置している場合には、資材の追加はほとんど必要ないので、できるだけ早期にクマも防げるこのタイプに張り方を変更することをおすすめする。



補足)ちょっとした工夫

ネットフェンスへの応用

ネットフェンス 針金が格子状に編んである高さ2〜2.5mのネットフェンス(物理柵)は、シカには効くがヒグマにはほとんど効果がないばかりか、大型のオスがよじ登ると体重で破壊されるので厄介だ。このよじ登りを防ぐには、外側に1〜2段の補助的電気柵(トリップフェンス)を回してやる。この方法はよじ登りに対しては効果が大きく、支柱が既にしっかりあるため経費的にも労力的にも十分ペイする。
 ネットフェンスのポールが腐食防止木柱の場合、トリップフェンスを回したい高さに直径10oのドリルで穴を水平に開け、そこに同径グラスファイバーポールを差し込んでク固定し、通常の電気柵同様クリップでワイヤーを保持するだけだ。トリップフェンス用の「腕付き碍子」というのもメーカーで揃えている。
 ただ、トリップフェンスを、どの高さにどの程度ネットから離して張ればいいか、これは確定的には求まっていない。高さ1.5m1本でヒグマのよじ登りが防げたという例もあれば、最上部に回してやっと止まったという例もあるようだ。どういう張り方がベストかは、今後事例が増えれば定まっていくと思う。
 同様に、トリップフェンスの高さを低く設定することでネットフェンスの掘り返しも防ぐこともできる。

「7月シフト」
 シカとクマの両方を防ぐフェンスについては先述したが、例えば、すでにシカ用の簡易フェンス(30-60-90p三本ワイヤー)が設置してある場合、この資材でシカとクマの両方をまずまず防ぐことのできる「7月シフト」と呼んでいる方法がある。
 デントコーンの場合、シカは芽出しの時期から新芽をついばみ被害を及ぼし、時期に応じて茎も葉も食べつつ8月後半から収穫まで実も食べる。こうしてあらゆる時期に、おまけに多頭数で農地に降りるので被害額も甚大となる。それに対して、ヒグマの降里はおよそ7月下旬からはじまり、お盆過ぎに本食いに入る。食べる部位もほとんどデントコーンの実だけだ。
 そこで、ヒグマがコーンの実の様子見に降りる時期を境に、前半はシカ対策、後半はクマ対策というように電気柵のタイプをちょっと変更する。
 まず、シーズン当初は従来通り「30-60-90p」でシカに電気柵を学習させる。おそらく、メンテナンスをしっかりおこなえば、ほとんどのシカはその農地をエサ場から外し、近寄ることもなくなっていると思う。そして、7月。ヒグマがデントコーンの様子見に降りてくる直前に、柵下の草刈りをおこない、そのついでに、ワイヤーを下げてクマ用にシフトする。特に様子見に降りてきたクマを確実に教育できれば、その後そのクマがその農地にやってくる可能性自体が小さいが、順次新しいクマが降りる可能性があるため、気を抜かず、8月も必要があればメンテナンスの草刈りを早めにおこなうよう心がける。お盆を過ぎれば、草の成長スピードも遅くなり、草刈りは必要なくなるだろうが、秋の大風には特に注意。その状態で、刈り取りまで維持してクマに電気柵をできるだけ強烈に学習させる。

 面倒な作業は多少あるかも知れないが、仮にそれまで3頭入っていた農地で3頭とも防いだとする。ヒグマというのは、常習性が高く、時期に応じて毎年同じ場所で同じものを食べる傾向も強いため、初年度に防いだ3頭が、その農地をエサ場から外し、ほかで食物を得るようになる可能性も結構高い。こればかりはヒグマの個体差もあるので断定はできないが。
 しかし、そんな調子で毎年ヒグマを防除していくことで、必ずヒグマの活動はその農地から遠ざかる。逆に、何もしないでおけば、その個体がメスなら定期的に仔熊を産んで育てるし、仔熊は、親離れ後も母グマと一緒に食べたデントコーン農地へ自然に降りるようになるだろう。箱罠を仕掛け、何頭かヒグマを取り除いても、箱罠の誘因餌がそれ以上にほかのクマを寄せるので、被害は減るどころか、増える可能性もある。 
 「ヒグマを教育する」という視点は一見奇異に聞こえるかも知れないが、ヒグマの常習性に加え、20〜30年という寿命の長さ、あるいは母系伝承などを考え合わせると、無闇に捕獲して取り除くより、はるかに合理的(効果的)で安全な方法だと言える。



3.追い払い
 「追い払い」とは、無警戒で軽率なヒグマに、ヒトや人里に警戒心を持たせ「近寄らない」「速やかに遠ざかる」という戦略を持ち出させるためのヒト側の積極的な威圧・威嚇である。特に経験が浅く無邪気で好奇心旺盛な若グマに対しておこなうことが多い。上述の農作物・コンポスト・ゴミステーションなどを防除しヒグマのエサ場とならないように管理するのは一般的方法だが、「追い払い」の多くは作業的に専門性が高い。ただ、安全におこなえる範囲で幾つか手法を持っておくと、対策がスムーズになることも多い。

a)ベアドッグ
ベアドッグ ベアドッグとはクマ対策犬の総称だが、ヒグマを威圧・威嚇し追い払う作業が含まれる。人里内に侵入している個体、あるいは人里外でも警戒心薄くヒトに接近するような若グマに対しては追い払いをおこなう。
 また、ベアドッグは、ヒグマ調査・パトロールの際の「ヒグマ感知センサー」として機能する。近隣に潜むヒグマを感知することはもちろん、ヒグマに迫る嗅覚で、我々ヒトが感知不可能なシカ死骸を見つけ出すので、誘因物撤去にも役立つ。薮のはびこる盛期に、撃ったヒグマが薮に突っ込み手負いかどうかわからない場合にも、ベアドッグは役立つだろう。
 ただし、ベアドッグには気質的・身体的適性もあり、中途半端に育てたイヌはやはりヒグマとの悶着のタネにしかならない。

b)威嚇弾(長〜中距離)

 通常ゴム弾・花火弾を威嚇弾というが、現在のところスムースボアのショットガン(散弾銃)を用い、それぞれ熟練が要る。ゴム弾の射程は30m内外。ヒグマを習熟しないハンターがこの距離でゴム弾をヒグマの尻に撃ち込むのは心理的に困難な作業かも知れない。
 一方、花火弾は、ある程度ファジーでいいが、ヒグマを越えて破裂しないよう距離と射角度を考えて撃つことが必要となる。現在、海外で犯罪用に用いられている電撃弾も将来実用化できるかも知れない。
威嚇弾

c)ベアスプレー(至近距離)

 この方法は特に鳥獣行政担当者などには困難かつ危険な作業でもあるが、少なくとも刹那的な好奇心で接近する若グマに対してのベアスプレーの撃退率は非常に高く、若グマにヒトへの警戒心を教えるには効果的だ。意図的・計画的にこれをヒグマに噴射することは無理にしても、ベアスプレーが普及し、それを浴びせられる若グマが増えれば、ヒトそのものに忌避心理を抱き、結果、ヒトの活動する人里からヒグマの活動が遠ざかる可能性もあるだろう。昨今の北海道では人里周りで無警戒な若グマと遭遇する率が高くなりつつあるので、人里周りの調査やパトロール、あるいは電気柵のメンテナンスなどでは、ベアスプレーはマストアイテムだ。

d)轟音玉
(ごうおんだま)(近距離)
 轟音玉はトド玉とも呼ばれる手投げの花火である。とはいえ、威力は通常市販されている花火ではなく、花火大会の撃ち上げ花火レベルである。これが近距離で破裂すると腹に衝撃が来るほど強烈だ。特に若グマに対しての効果は期待できる。
威嚇レンジ
 上図で示した通り、現在、40〜80mの距離での追い払いに最適な方法が見当たらない。追い払いの精度・方法論は、今後北海道でも経験値とともに向上していくものと思われる。

e)サーチライトとロケット花火(夜間・長距離)
 夜間の追い払いに適しているのがこの二つの合わせ技である。明らかにその薮にヒグマが降りてきていると確認できた場合は、クルマなど逃げ場所を確保しつつ50m程度離れた場所からサーチライトで照らし、もしヒグマが動き遠ざかった場合はロケット花火で追い打ちをかける。

f)爆音機など
 爆音機をはじめ、従来用いられてきた音や光・においの資材は、タイマーなどで自動的に作動するものは、ヒグマはそのうちに慣れて効かなくなることが多い。もし用いるのであれば、接近したヒグマをセンサーで感知して作動するものがいいだろう。ただ、これも相対的で、仮に農地Aと農地Bが隣接してあり、農地Aで定期的に爆音機が鳴り、その隣の農地Bが無防備であれば、ヒグマはAを避けるようになる傾向が強い。 爆音機

 ヒグマの「追い払い」というのはある程度専門家のおこなう作業かも知れないが、調査やパトロールで徘徊するだけでヒグマの気配が忽然と消えたり、一人の人間が空き農地に移住したことで近隣のヒグマの出没が激減した例があることも、申し添えておく。改まった「追い払い」という行為ならずとも、日常的なヒトの活動のエネルギーが自ずとヒグマを遠ざける力を持っている。


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