概要と経緯
湧別川水系の中上流部に位置する丸瀬布・武利方面は、北海道に典型的な中山間地域であり、河岸段丘に沿った線状の農地帯・人里が山塊に深く食い込んでいる。周辺の山(北大雪山塊=北見山地)はオホーツク海側の最高峰・武利岳を擁し、独特の地質構造を持つこの山塊は最終氷期の影響を今なお受け、氷結、アカエゾマツ林、ナキウサギの生息地、コケモモ群生などが人里エリアの標高から見られる。ハンターなどには「山が立っている」と表現されるが、日高山脈同様、切り立った崖などを配しながら険しく深い山並みが広がっている。山塊全域で比較的健全なヒグマの生息数を保っていると思えるが、シカとともに酪農を主体とするこのエリアの農業と軋轢が生じている。
このエリアの特徴は支流武利川沿いに町の運営・管理する人気アウトドアレジャー基地「いこいの森」が存在すること。キャンプ場、パークゴルフ、温泉やまびこ、昆虫生態館などの町営施設ほか、マウレ山荘、釣り堀、観光果樹園など様々なアウトドア施設が「いこいの森」周辺に散在する。ここを訪れるキャンパーは町営施設だけで年間のべ12万人を越え、道内のオートキャンプ場では集客力上位を誇っており、本州方面からのキャンパーも多い。また、丸瀬布は「昆虫の町」として知られ、特に夏休みにはカブトムシ・クワガタを探して深夜から早朝に懐中電灯片手に「いこいの森」周辺を歩き回る子供たちも多い。
2007年前後に「いこいの森」の半径約5qの調査エリアで確認された痕跡・現物等から、常時活動するヒグマの活動数は25±5頭程度と推測され、うち約半数が7月〜9月の時期に武利方面の人里・農地に降りていた。その後2012年までに若グマの増加傾向が続き、「いこいの森」東側のヒグマの活動状況からこのエリア全体を推測すると、5歳以下の若グマだけで倍以上に増えている可能性がある。(※1)
「いこいの森」周辺の特殊性は、観光エリアと農地帯が混在しているところ。ヒグマの知識と防除対策が遅れてきたこのエリアでは、明治以来の捕獲一本槍のヒグマ対策が漫然とおこなわれ、結果、農地被害のみならず、人里内での人身被害の危険性が慢性的に高じてしまっている。
※1:エリア内のあるデントコーン農地で確認された東側で往き来する降農地個体数は、2007年から2012年で2-4-4-7-10-10頭(仔熊含まず)と変化し、特に2011・2012年は、仔熊を含めて14・15頭全頭が5歳以下と推定されるが、例年、年長個体から出没が消え、新しい個体が到来するとい「入れ替わ」りが見られる。このため、成獣個体による抑制が働かず、若年個体の過密状態が起こっているとも考えられる。
ヒグマ側の動向変化をもたらした原因は幾つか考えられるが、一言でいえば「ヒグマ社会の攪乱(かくらん)」と表現できるだろう。人里周りの局所的エリアで、ヒグマの年齢構成、性比、恒常的な活動頭数、行動パタン、産子数などがこの数年で比較的急な変化を示していると各種情報から読めるが、その主たる原因として「シカ駆除の隆盛」と「箱罠の導入」「牧草からデントコーンへの作付け変更政策」が大きい。
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ヒグマ活動状況地図
(←)「いこいの森」周辺のアウトドアエリアにおけるヒグマの出没認知地点とよく使われる移動ルート。ここに示したヒグマ認知ポイント(■)は、原則的に通常の4WDで行ける場所のみで、「ヒトとヒグマの交わり(接点)」を示している。ポイントされていない山林部に関しても、同様のヒグマの活動状況があると考えていい。
ただし、この酪農エリアではこの10年ほどで牧草からデントコーンへの飼料作物転換がおこなわれており、デントコーンによる餌付けが起きる8月・9月はヒグマの活動が山塊全体からデントコーン農地周辺にコンパクトにまとまってくる。
同じ時期・同じエリアに、一方で膨大な数の観光客・キャンパーが訪れ、他方で周辺のヒグマがエサ場を求めて寄ってくる状況のため、捕獲を基調とした従来的北海道のヒグマ対策では安全確保が不可能に近い。よって、既成概念にとらわれない合理的な方法を積極的に導入してリスクマネジメントを模索する必要があった。 |
※2011年9月現在の網走管内各市町村のヒグマ捕獲数はこちら
2004年の箱罠導入時における大量捕獲が引き金となって起き始め、現在なお続いていると考えられる「人里周りの若グマの局所的増加」に関しては、ヒグマの社会学に関する未知のメカニズムが働いている可能性がある。一定の条件下で1頭のヒグマを捕獲し取り除いたとき、その空いた空間で起きるいろいろについて、仮説・理論の段階ながら、実際に起きているヒグマの社会構造の推移に矛盾しない論は得ている。現実に起きている様々が科学的立証を待っていられない状況にあるため、それを元に実際の対策方向を定めるしかなかった。もちろん、その仮説・理論の間違いが判明すれば修正する方向ではある。
※詳しく知りたい方は、
こちら「パンドラの箱」〜「若グマるつぼ」の解消方向へお進みください(別ウィンドウで開きます)
2004年から私個人で可能な限りヒグマデータを蓄積してきたが、その結果と考察は、見る人によっては無視できない内容だったはずだ。行政・農家・住民・来訪者・駆除ハンター、十分な認知と合意形成が進まぬ中、事態を重く見た現場の観光課職員が安全対策に本腰を入れ、2010年には「いこいの森」の東側を電気柵で囲う措置がとられ、翌年には西側が囲われた。ヒグマの侵入経路と周辺にはバッファゾーンを配し、ベアドッグを導入しキャンプ場そのものの安全を確保するとともに、周辺エリアのヒグマの活動状況を知る方策をとりながら、因習にとらわれない合理的(効果的)なリスクマネジメントが模索されている。腰を上げるまで時間がかかったが、上げてからのこの対策導入の迅速さは、私が見ていても行政としては異例のスピードだと思う。
「いこいの森」周辺の課題と対策
ヒグマの活動では、「普及」と「合意形成」が正攻法だ。しかし、ここでは、大量捕獲から始まったヒグマ側の社会変化が急で、その定石を踏むことができなかった。パンフレット設置やフォーラムなどそれなりの普及活動はおこなってきたが、現場で観光客の動向を見る限り、一向に効果が現れないため、ヒグマの側に働きかけ動向自体を変える方策が緊急課題と判断された。
一口に「ヒグマ出没」といっても、「目的地」に出没している場合と、その目的地への移動ルートで感知される場合と、二つある。「目的地」は通常ヒグマに対する適切な防除がなくヒグマらのエサ場となっている場所だが、ここへの出没は効果的な対ヒグマ防除(おもに電気柵)を施す以外、解消する方策はない。
人里内にヒグマの目的地・エサ場があれば、必然的にその移動ルート上にヒグマが頻繁に存在することになるが、これに関しては、ヒグマに対して巧妙にいろいろなストレスをかけることでルートを変更、あるいは部分的に遮断することは可能だ。
もちろん、目的地のエサ場に対ヒグマ防除策を施せば、移動ルート上の出没は自然に消え、せいぜい若グマの単発的・刹那的・無目的な出没のみに抑えることができるはずだ。この手の若グマをクマ撃ちは「うろちょろ」と呼び、いちいち銃など持ち出さないらしいが、実際こんなものは、待ち構えてガツンと一度やってしまえば大概は出てこなくなる。
このエリアのクマの目的地は、「いこいの森」近隣のデントコーン農地。幸いにして「いこいの森」内でバーベキューの残りや生ゴミ・コンポストの味を覚え執着するクマ生じていなかったため、とにかく「いこいの森」への接近・侵入を防ぐことを優先課題とし、周辺のゴミやシカ死骸などの誘因物を撤去しながら、ヒグマの性質コントロールを試みることとした。
《ヒグマの側に対する目標まとめ》
1.「いこいの森」への接近・侵入防止(「いこいの森」への忌避・敬遠)
2.移動ルートコントロール(不可避な往来関して、移動ルートを制御)
3.移動時間コントロール(ヒトの活動時間を外して行動させる)
4.若グマの性質コントロール(好奇心によるうろつき・接近・じゃれつきの回避)
ヒトへの警戒を持たせ、ヒトから速やかに「遠ざかる」「逃げる」「潜んでじっとしている」癖をつけさせる。 |
5.捕獲判断を正確におこなう
危険度の高い問題個体を的確かつ早期に感知・捕獲判断を下すことを前提に、不必要で効果の乏しい捕獲を回避しながら安全確保をめざす。判断基準は攻撃性と警戒心。 |
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1.情報収集 ※得られた情報はすべて対策に生かす
限られた人員と予算で最大限に合理的な対策をとっていくためには、何よりも周辺ヒグマの詳細をを把握することが必要と考えた。
「ヒグマ出没」これはちょっと慣れた人ならすぐわかる。「数頭出没しているようだ」あるいは「大きいのと小さいのと親子連れが出ている」という程度も、通常のハンターならわかるだろう。ところが、それでは観光エリアでのシビアな対応をおこなう場合、不十分で危険な場合もある。そのエリアに出ているヒグマの数・年齢・性別そして移動ルートや時間帯、性格まで、可能な限り相手の性質・行動パターンを知ることを考えた。
A.石灰まき
a.出没ルート・親子連れなどを確認
b.前掌幅から個体識別・出没頭数推定
→数年レベルのヒグマの動向把握
→今後の動向をできるだけ予測し対策に生かす
c.普及啓蒙に使用
最も簡単で安全、かつ得られる情報が比較的多いのが石灰まきだ。特にアスファルト路面についた石灰の足跡は、前掌幅を安定的かつ正確に求めやすく、個体の同定・識別に結びつき、出没個体数をかなり正確に推定する材料ともなる。
手順は簡単で、雨がしばらく降らないのを見量り、事前に調査して特定しておいたヒグマの移動ルート・横断ルートに石灰をざっとまく。それを、翌日からチェックし、新しく出た足跡列から左右一対の足跡の前掌幅をサンプルとしてとる。コインを置いて足跡と一緒にデジタルカメラで写し込み、そのデジタル画像をPC上で分析し、ときにはコントラストをあげたりして足跡を浮き上がらせ、前掌幅を求める。
パトロールを一日数度おこなうことによって、ヒグマの移動時間帯も判り、実際にこの方法で、人さえいなければ日中も堂々と親子連れがアスファルトの道を歩いていることがわかった例もある。およそどの時間帯に出てきていつ帰るのか、あるいはデントコーンの中に居座ったままなのかも判る。
この段階に至るまで3日かからなかったが、こうなってくるとどれが新しい足跡なのかわからなくなってくる。事前に調査をしヒグマのルート上に的確に石灰をまかなければ、この同じカットの写真はただの閑散としたアスファルトの道にしか写らない。
このさりげないワンカットにも、よく見ると交差する三つのルートと4種類の大きさの足跡が写っている。短いながら毎日10頭以上のヒグマが行き交う道ゆえ、さすがのベアドッグも困惑気味だ。
ただ、2011年は2週間で2500以上の白い足跡を見てきたが、脳が慣れて勘が働くようになるのか、同じように見えるヒグマの足跡でも形状の違いが分かってくる。「あれ、この足跡はあいつだろう」と思いつつ計測するとピタリとサイズが一致したりする。 |
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足跡の周りのボカシの入ったような跡は、ヒグマの毛についた石灰がアスファルトについた跡。同様に、このクマが道を逸れて薮に入った場合も、石灰が草などにつくのでわかりやすい場合がある。
この写真の場合、写真上の前掌幅が610ピクセル、100円玉が97ピクセル。100円玉の実寸は直径22.6oなので、単純に22.6×610/97=142.124・・・と比の式から求められ、誤差を切り捨て「14.2p」とすることができる。これを、右足・左脚それぞれ幾つか調べ、誤差が十分小さければ信頼に足るデータと言えることになるが、同一個体とわかる足跡で調べてきた結果、だいたい誤差は±1oで収まることがわかった。 |
(←足跡サンプルの一部)
約1ヵ月で、調査・追い払いなどのために閉鎖された約500mのアスファルト上に2000〜2500の足跡が確認されるが、有効サンプル数は100前後。4〜5%をサンプルとして用いている。
ヒグマの出没認知に関しては、基本的に地図に落として(GIS)後々ヒグマの動向・移動ルートなどの分析に用いる。GISはいいが、結局は自分の足で歩き回り、地形は食性・特異点を確認しながら理解しないと見えるものも見えない。
各地域には、どのヒグマも通りやすいルートあるいは横断箇所があるだろう。「クマの銀座通り」とか「クマ渡り」などと呼ばれるが、どうしてそこをクマが通るかには、必ず何か理由が隠されている。人家があったり街灯ひとつで移動ルートが変わる場合もあるし、山側の地形や植生をつぶさに観察して歩くと、「なるほど」と納得できる場合もある。クマのルートとなりやすい場所の「理由」を突き止めておくことで、逆に、クマの出没を消す、あるいは移動ルートを遠ざけることが可能となる。
B.カメラトラップ(デジタルセンサーカメラ/トレイルカメラ)
a.出没時間帯を把握→ヒグマの警戒心を測る
b.各種テストとチェック(ベアドッグのマーキングへの反応、電気柵への反応など)
c.普及啓蒙に生かす
この機材は狩猟の盛んな北米などでトレイルカメラと呼ばれ進化・普及してきたもので、現在10メガピクセルほどのCCD・CMOSセンサーを備え、日中はカラー、夜間は赤外線を照射し20mほどの距離を通る野性動物をモノクロで撮影することができる。
2011年、デントコーンの刈り取り直前にテスト導入したカメラトラップだが、事前の調査さえしていれば得られる情報が非常に多いことがわかり、2012年には台数を増やしてヒグマの動向把握・各種チェックに用いた。
この手の道具は便利だが、便利ゆえに注意も必要だろう。単にクマを撮影するのではなく、できるだけ目的意識を持って設置する。足で稼ぐ基本的な調査をしっかりして、様々な考察を加え、なおかつ写し出された映像をどう解釈し、どう対策に生かすかということまでできて、はじめて威力を発揮する。
カメラトラップに写るのはヒグマばかりではない。立ち入り禁止ゲートや電気柵を越えて侵入してくるキャンパー・釣り人などが見られた。もちろん、これはセンサーカメラを設置しているからはじめて認知できることだが、この想定のもと毎年6月からクマの査定と働きかけをしているため、この状態をもって事故の危険性が特別高いとは必ずしも言えない。上写真の親子(母グマ)は2011年からのマーク個体だが、前掌幅11pでまだ非常に若い母グマと推定され、ついこうして日中に歩き回ったりする。が、前年(2011年)に比べ明らかに母グマとしての警戒心を持ちつつあり、またヒトが近づくと「逃げる」「潜む」のどちらかを用いて悶着を回避してくれるため、マークしながらも静観している段階だ。2012年のセンサーカメラの捉えた多数の映像を観光担当者が分析した結果、「強風のときにこの親子は姿を現していない」ことが判明した。私の側でも、強風時のパトロールは避けたい衝動を免れなかったが、母グマの側でも同様にヒトを警戒して行動を自重していたということだろう。実際、この親子はヒトさえいなければこうしてアスファルトの町道上をヘラヘラ歩くが、この二年間、この親子を目撃した観光客は一人もいない。
この親子を捕獲(射殺)し取り除く理由を私は持たない。生かすための教育を地道に施し、裏山で末永く暮らしてもらうクマの候補でさえある。
が、ヒト側の「進入禁止破り」に関しては、改善の余地は十分あるため2013年は改めて実効性を求めて工夫をすると思う。
センサーカメラを用いたテストの例を幾つか紹介しよう。
導入年には、他の様々な調査からこのエリア内のヒグマのルートをおよそ特定し、何頭かのヒグマのルートが交差する場所を見定め設置すれば一晩に数頭のヒグマが撮影できると踏んだが、テスト導入にもかかわらず予想以上の効果だった。カメラ設置の15分後からヒグマが現れ始め、深夜から早朝にかけてシカ・キツネ・イヌ・モモンガに混じって何頭ものヒグマが行き交った。(モモンガまでデントコーン農地に降りているとは、これまで気がつかなかった)だいたいイメージしていた通りのヒグマの移動や行動・頭数がカメラに収められたが、実際に画像となって見られるのは新鮮だ。そして、得られる情報量が多い。
特徴的な斑紋や傷を持つヒグマがあれば個体識別に役立てられるが、ヒグマの毛並みの特徴が出やすい脇の下から腹にかけての同方向からの模様を見ることで、個体同定ができる場合も多い。下写真a・b2枚は同日18:46と22:51、時間を違えて同じルートで現れた同じようなヒグマだが、別個体と判る。
写真a 写真b
一方、下の写真cは写真aを拡大したものだが、写真dは、この翌々日に同じルートで現れた個体だ。黄色い四角で囲った部分が、私がヒグマ識別に使う「脇下から腹」部分。若干角度は異なるが、ここの毛並み模様を見るに写真cとdは同一個体であるとほぼ断定できる。
※数日後の動画撮影で、この個体が右手首に深刻な怪我(骨折?)を負っていることが判明した。
写真c 写真d
試しに動画を見てみる→ブロードバンド(3Mb+/640×480)
→ISDN等(750Kb/320×240)
※さらに興味のある方はセンサーカメラを使った例「電気柵の学習テスト」(動画つき)へ。
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C.周辺山林の痕跡調査など(クマ道・糞内容物確認・日中の退避先特定・獣毛採取)
a.ヒグマの活動把握(特に親子連れ)
b.怪しい個体の教育(警戒心と攻撃性のチェックと矯正)
c.ベアドッグの訓練
まず、できるだけ正確な周辺ヒグマの活動状況と、特に警戒心の薄い若グマ・親子グマを把握し、場合によっては意図的なバッタリ遭遇から「追い払い」に持ち込む。この場合の「追い払い」は、場所に対しての忌避ではなく、ヒトそのものに対しての忌避教育。前期(4月〜7月)は比較的広く、後半(8月〜10月)は、クマと観光客の動向を見ながら「いこいの森」周辺に集中する。
事前の調査もまた原則的にベアドッグ同伴で4月よりおこなうが、目的の第一は、「いこいの森」-マウレ山荘の観光エリア周辺(半径5q程度内)に活動する個体のうち、特に親子連れの母グマと若グマの性質把握。
※親子連れの数と性質を把握しておくと、次年度はもちろん、数年レベルのヒグマの活動状況の変化をおよそ予測できる。そして、母グマの性質より、次年度以降のマーク個体の候補も絞り込めることが多い。
若い母グマに育てられた仔熊が親離れ後に無警戒に振る舞う傾向が強いこと、あるいは経験が浅く警戒心がまだ薄い若グマが人の接近に対して鈍感なことをふまえ、ヒグマ対応が未熟な観光客等が遭遇する前に「逃げ癖」「遠ざかり癖」「潜み癖」をつけるのが次の目的となる。
これらの無警戒な若グマは、通常、凶暴・攻撃性とは無関係のクマだが、経験が浅く好奇心・無警戒による接近・徘徊・じゃれつきがヒトに対してもあり得るため、ヒグマに対して経験不足で基本的なスキルを持たない観光客等が遭遇すると、思わぬ方向に転がる恐れもある。残念ながら、人に対する普及啓蒙が思うように進まないため、その悪い可能性を事前にクマの側で消しておくという作業になる。
したがって、若グマであっても比較的素直に立ち去る個体、あるいは一度の追い払いで行動改善が見られる個体に関しては、活動を把握した上で容認の方向となるが、警戒心の点で行動改善が見られない、あるいは攻撃性が高いと疑われる個体に関しては、できるだけ遭遇を繰り返しつつ秋まで捕獲判断を念頭にマークする。
ただし、現在までのところ猟友会の十分な理解が得られないため捕獲要請に躊躇する場面もある。現に、2006年〜2008年にはマークしたまま3年にわたる教育個体もあった。もちろん、これには私の未熟もあったことと思うが、少なくとも観光エリアでは、鳥獣行政・観光行政・専門家・ハンターが一糸乱れず連携して粛々と動くようでなければ、危険だと思う。
ベアドッグは、ヒグマが冬眠明けし活動を活発化させるのに合わせ毎年コンディション、モチベーションを調整して備えるが、5月の連休のあと、特に夏休みに向けて、もう一度、山中で実践的な基礎訓練からおこなう。この実戦訓練で「追い払い」をおこなうこともあり、また、周辺のクマにベアドッグというものの存在を印象づけておくことも、目的としてはある。その結果として、8月以降の「いこいの森」周辺でのマーキングをはじめとするにおい付けが最大に効果をもたらすと考えているからだ。
実際、ヒグマの生息地に適した犬を適切な方法で飼っていないと、食べ残しのドッグフードをめざしてヒグマが人家脇に降りるケースもあり、場合によっては犬が攻撃を受け、挙げ句の果てに食害にあう事例もあるが、ヒグマの活動する場所を選んで、ときに威圧的態度で上のような実戦訓練をしている影響か、私の自宅周辺には淋しいほどヒグマが現れなくなった。通常の人里や観光地では、ちょっと淋しいくらいがちょうどいいはずだ。
D.高所作業車の利用
8月以降、ヒグマの降里の主原因となっているデントコーン畑は、視界が悪いため内部の様子がなかなかわからない。事前調査がしっかりできていて、常習的にそこに侵入している個体の頭数から年齢・性質まで一定レベルで把握していれば、十分な準備をして被害ピーク時のデントコーン畑内部の被害状況を探ることもあるが、そうでない場合、あの手この手で状況を知る工夫をした。その中で、技術的に易しく意外と効果的な方法が高所作業車による上空からの観察だ。
ヒグマは一枚のデントコーン畑でまんべんなく食べるわけではない。どこを食べるかにはおよそ必然性がある。この上空からの観察からヒグマの忌避要素(何を嫌って行動しているか)を推測でき、防除やルートコントロールに生かせる。
2.具体的対策
A.周辺の不用意な誘因物の撤去(ポイ捨てのゴミ・シカ死骸など)
a.ヒグマの誘引・学習防止・過剰反応防止(周辺の安全対策)
交通事故、駆除がらみの回収不能死骸、その他と、原因・経緯はともかく、「いこいの森」周辺にも、たまにシカ死骸が放置状態となるため、できるだけヒグマが寄りつく前に感知し、速やかな撤去に努めている。ポイ捨てのゴミをヒグマが曝いた跡や土饅頭化したシカ死骸が見られたが、特にシカ死骸の撤去作業に際しては2010年からは必ずベアドッグ2頭を伴わせている。ベアドッグを連れるようになり、シカ死骸の発見率は上がったようで、毎年このエリアから撤去するシカ死骸の数は2〜3頭。
2012年の撤去数は9月までで1頭と少ないが、この他に、7月下旬、閉鎖町道上にされたヒグマの糞から「いこいの森」南側のどこかに、すでにヒグマが食べているシカ死骸があると推測できたが、位置が把握できず回収できなかった。
※ヒグマがすでについたシカ死骸の場合は、回収は非常に危険。
知床では、銃器を用いて追い払いをおこなっている。それは、もちろん対策員の技術的なこともあるが、知床における活動が周知されているため可能なことで、一般の観光エリア・アウトドアレジャーエリアでは、来訪者のタイプ、活動パタンも多様なため難しい。私自身は、いこいの森〜マウレ山荘・太平・山彦の滝周辺の観光エリアでは、轟音玉を用いていない。またベアドッグも、幼犬の頃から積極的にヒトへの社会化教育をおこなってきた。そういう観光客への配慮とともに、実際、観光客の歩き回る中で銃器を発砲する危険性、与える不安感、そして手負いでシカやクマを逃して回収不能個体とするリスクの問題もあり、原則として、「観光エリア」と「駆除エリア」のゾーニング(棲み分け)が、早急課題として挙げられる。
B.電気柵(電気牧柵/電牧/パワーフェンス)
a.キャンプ場への侵入防止(防除用電気柵)
b.周辺ヒグマの教育(教育用電気柵=周辺の個体に電気柵を正しく学習させる)
過去のヒグマの動向から電気柵ルートを選定し、2010年に「いこいの森」東側(約1.3q)、翌2011年には西側(約1.2q)を囲うことが実現した。ヒグマ用電気柵として採用したのは、一重三段(20-40-70p)のポリワイヤー。電圧は、十分余裕のある電牧器と確実なメンテナンスで、シーズン通して8000〜9000Vの電圧を維持してある。
高張力ワイヤーを採用しなかったのは、電気柵の開いた武利川沿い・道道武利線沿いに不用意なヒグマが「いこいの森」内に侵入する想定を持ったからだ。この想定から、昼夜を問わず内部から追い立ててヒグマが外へ逃げやすいタイプの電気柵を選択し、なおかつベアドッグの夜間訓練をおこなってきた。また、そういう状況を回避するために、できるだけ精度の高いヒグマの把握とともに、要所要所でバッファスペース、オオカミの尿などの合わせ技で対応している。
ただ、注意点は、この電気柵タイプのため、逆に「いこいの森」外部からヒグマを追い立てると簡単に電気柵を突破し「いこいの森」内に乱入する恐れが同時にあり、周辺のパトロールの移動ルートと手順、あるいは「追い払い」の判断には細心の注意を払う必要がある。それでベアドッグの服従訓練が必要になるが、道端の薮に隠れ潜んだヒグマをそっとしておくことのほうが、ベアドッグにとっては難しい作業かも知れない。
※こういうデリケートなエリアゆえ、ヒグマ対策連絡会(下述)の趣意・安全対策に同意し行動抑制をおこなえない駆除ハンターには、このエリアでの徘徊・発砲を遠慮していただくこととした。駆除ハンターが常用する「流し猟スタイル」では、このエリアを歩き回る観光客の存在も感知し損なう恐れが高いため(前例あり)、もしおこなう場合は、連絡会の認知の元、必ず「いこいの森」から外へと歩いてもらうことになる。そしてまた、その場合には、親子連れ・兄弟など、複数で行動するクマもあることから、ただ偶然見かけたクマに刹那的に発砲する「丸瀬布ルール」は避けてもらい、道庁指針の通り、鳥獣行政を含んだヒグマ対策連絡会の捕獲判断をもって、特定の個体に対して捕獲依頼をすることとした。
ただし。
本州でイノシシの罠にクマがかかれば「錯誤捕獲」という言い方で認識されるが、個体数調整ではなく個体識別から発するヒグマの管理では、上述の「種間錯誤」に加え「個体間錯誤」も錯誤捕獲に含まれると考えるべきだろう。クマAを捕獲しようとしてクマBがかかれば、それは「間違い・ミステイク」と認識する。
現在、捕獲放獣に関しては明確化も各所合意もされていないが、危険個体に対して仕掛けた箱罠に、間違ってほかの個体がかかった場合、その個体を殺処分して取り除く根拠がないため、いわゆる学習放獣をおこないたいと思っている。これは趣旨からしても奥山放獣ではなく、里山放獣。クマを山奥に捨てに行くのではなく、あくまで裏山でしっかり活動していてもらうための放獣だ。そのため、通常用いられる箱罠のほかに、捕獲ヒグマへのダメージが小さいドラム缶式罠を揃える必要がある。
また、関係各所、専門家などの条件が揃えば、GPS発信器によるテレメトリ(遠隔監視)、および進化形のテレコマンド(遠隔指示)に持ち込みたいとも思う。
少なくとも電気柵の設置後、ヒグマの侵入は完全に防止できている。朝夕にキャンプ場内から、もしかしたら斜面を歩く若グマが目撃できるかも知れないが、周辺のヒグマ間には順調に電気柵への忌避心理が広がっていることがセンサーカメラを使った防除テストでも確認されており、その目撃が特別危険な状態とは判断できない。少なくとも現在の「いこいの森」内に関しての安全性は道内のキャンプ場の中では屈指のレベルにあり、「非常に高い」と評価できる。いまでは、道内市町村からここのヒグマ対策を視察に来るほどだ。
写真1 写真2
写真1:「いこいの森」内散策路(東側)。ヒグマ注意喚起看板には「出没」ではなく「生息」という言葉を選択し、「この周辺の山はヒグマ生息地」などとした。また、どぎつい色や子供騙しの恐ろしげなヒグマの顔はやめて、ごく普通に歩いているヒグマのシルエットをデザインした。無闇にヒグマを恐がる前に、冷静にこの動物を受け止めて欲しかったからだ。
写真2:いこいの森からの閉鎖町道。ここから約500mほどを閉鎖し、ヒグマの把握ととともに様々な方策でヒグマへのストレスを加え、観光客の安全確保を試み、効果を上げている。 |
電気柵は防除柵だが、実質上「教育ツール」である。適切な設置方法とメンテナンスをおこなえばクマの場合は特に防除率が高いが、逆に不適切な設置方法・メンテナンスでは効果的な電気柵の学習をさせることができず、むしろ「掘り返し」「くぐり抜け」などの悪い学習をおこなわせ、地域のヒグマが総じて電気柵を「舐めた」状態に陥る可能性が高い。残念ながら、遠軽町内にはこの点で不適切な電気柵しか張られていないため、完全なクマ用電気柵で「いこいの森」周辺のヒグマを教育する必要性が生じた。
※逆に、「いこいの森」の電気柵で教育された個体は、不十分な電気柵であっても防げるケースが出やすいとも、2011年・2012年の調査で次第に確かめられてきた。
※電気柵の原理は、特に知能の高いヒグマに関して、一般に考えられているほど単純ではない。素人判断・見よう見まねで導入したり、必要条件のメンテナンスを怠ることで、簡単に被害の拡大に結びつく。
C.バッファスペース(バッファゾーン/緩衝帯)
a.ヒグマの接近を抑止
b.ヒグマのルートコントロール
電気柵と同時に要所にバッファスペースを配置した。「いこいの森」に近い従来のヒグマの移動ルート・潜み場所の下草を刈払い、20〜100mの幅で可能な限り見通しをよくした。左写真は、「いこいの森」に隣接するカラマツ林内に作った幅80mほどのバッファスペース。この林は若グマがうろちょろする定番のエリアだったが、現在はここでのヒグマの活動は完全に消えて閑散とし、ヒグマが農地を往き来する悪いルートは消滅した。
バッファスペースは、仮にそれ単独で効果が薄くても、電気柵と併用することで効果はきっちり現れる。
バッファスペースと電気柵の配置、それに加えベアドッグを伴ったパトロールや追い払いなどは、全部ひっくるめてひとつのシステムだ。予算も人材も潤沢にあれば強固でどんな状況に対しても磐石なシステムを作ればいいが、実際はどちらも限られた中でやらないくてはいけないので、降里ヒグマの頭数に限らず、相手の出方を見てこちらの構えを臨機応変に変える。将棋を想像してもらうといい。矢倉囲いの駒にあたるのが電気柵や追い払いだが、ヒグマの動向をできるだけ緻密に把握しておいて、それに適した形にこのシステムを変えて対応する。どのような構えをつくるかは、知恵や工夫・発想力の出しどころ。ある意味、情報戦であり、読みの勝負だ。
D.ベアドッグを用いたパトロール・夜間張り込み・追い払い
a.ヒグマの性質把握・ルートコントロールと性質改善
b.捕獲必要個体の的確かつ早期判断
ごく普通の正常なヒグマのエサ場となりうる場所が近隣に存在する限り、ヒグマの降農地自体は阻止できないため、降りる個体の「性質コントロール」「ルートコントロール」「移動時間コントロール」に目標を絞った。すべてのルート、時間で閉鎖町道上の移動・横断を止めにかかると、逆に過去同様「いこいの森」近くを通る個体も現れ得るため、親子グマ(仔熊)も横断可能な武利川のポイントを把握した上で、閉鎖町道上の一部を降農地ヒグマの移動ルートとして許容。各種調査から、一定ラインより「いこいの森」に接近する傾向が感知された場合に、「夜間パトロール」「夜間泊まり込み」などで対応したが、夜間の「追い払い」は上記趣旨により「いこいの森」から200m以内に限定した。2011年にも実際に起きたが、9月特有の大雨が降ると大増水によって河川をクマが渡れず右往左往するので、河川の状況によっては特に夜間活動を重視する。
※2011年、農水省枠の100%助成の電気柵が降り、「いこいの森」周辺の農地にも「クマとシカの防除のため」という名目で電気柵が回された。血税で買ってもらった電気柵ということだ。申請通り、クマとシカに対応する電気柵の設置をし、メンテナンスをまともにおこなえばヒグマの降農地(経済被害)は消え、このエリアのクマの移動も収まる。もちろん、電気柵を学習させるために、電気柵の手前でヒグマの移動を止めてしまうことこそ不合理だろう。したがって、上記の「移動ルートの許容」に関しては、現実性・合理性とともに、農家に対しての正当性があると思う。
ベアドッグとは、クマ対策犬とも和訳されるが、クマ対策に特化して幼少より育成された犬の総称で、犬種名ではない。軽井沢では北米由来のカレリアン・ベアドッグ、知床ではアイヌ犬が用いられているが、対ヒグマベアドッグとして、アラスカのオオカミと訓練系ジャーマンシェパードの混血、つまり狼犬(ウルフドッグ/ウルフハイブリッド)を選んだ。対ヒグマ・ベアドッグの可能性として、すぐに思いつくのが猟犬ベースだろう。その中でも上述2犬種はクマ猟に使われてきたので適格だ。しかし、もう一つ、どうしても捨てきれない可能性がある。それが「護羊犬」からの方向だ。護羊犬というのは、もともとヨーロッパでクマやオオカミの撃退用として作出・洗練された犬種群で、牧羊犬のジャーマンシェパードやコリーは、この護羊犬から自立心・警戒心・攻撃力を削ぎ落とし、ヒトへの服従心・依存心・訓練性能をもたせた犬。
どのみちフロンティアワークになるので私は後者を選んだ。
ベアドッグの仕事の第一は、調査・パトロールのときにヒグマセンサーとして働くこと。2006年から始めた若グマの追い払いは轟音玉・ロケット花火・サーチライト・ベアスプレーでおこなってきたが、デントコーン被害時期の8月・9月は薮も鬱蒼とし、こちらからヒグマを感知するタイミングが遅れがちだった。結果、不用意に至近距離遭遇を起こし咄嗟にスプレーを用いる状況であったため、ベアドッグの導入に踏み切った部分もある。ベアドッグを連れるようになって、シカ死骸を見つける回数が増えるとともに、予想以上にヒトが感知できない「潜むヒグマ」が多いことがわかった。
ベアドッグの第二の作業が「追い払い」である。特に好奇心旺盛で無知で無邪気な若グマにターゲットを絞っているが、導入年に予定外のスクランブル発進で1度、2年目夏に5度、2012年は、潜む戦略を用いているヒグマに対しての対応ヴァリエーションを増やしたため明確な「追い払い」は2度にとどまった。原則的には、単に追い払うのではなく、若グマの側に「ヒトから遠ざかれば大丈夫」「人里に入らなければ大丈夫」と教える努力をしている。これは、ヒトとバッタリ遭遇を起こしたときに過度に切迫し攻撃側に心理が傾かないためにであるが、犬への服従訓練のうち概ね「呼び」と「静止」のコマンドで達成できる。犬ぞりなどで使う「右」「左」「まっすぐ」を覚えさせておくと、オフリーシュメソッド(フリーにしたとき)の際にヒグマを逃亡させる方向をさらに正確にコントロールできる。
通常、ベアカントリーを歩くときは、ヒグマ側にヒトの接近を感知してもらう事をめざすため、安定したゆるい追い風で歩くのが理想的で安心できる。これには、万が一若グマの意図的接近があった場合などにベアスプレーを用いる想定もある。しかし、十分訓練とヒグマ経験を積んだベアドッグを伴って調査などをおこなう場合、向かい風でこちらからヒグマの存在を先に感知するのが一応私の定石だ。常にこちら側がイニシャティブをとってヒグマの行動を制御するよう心がける。
パトロールは、原則的に朝昼夕と夜の10時の4回、いこいの森から出発する。丸瀬布は昆虫の町として知られ、夏休みともなると深夜から早朝にかけて子供たちが懐中電灯を片手に周辺の街灯などを歩き回るので、訓練の意味を加え、暗くなってからのパトロール、追い払いを放棄できない。
夜間パトロールは訓練要素もあるため、原則的にライト類を点灯せず、リーシュを通じて伝わるベアドッグの反応を感じてゆっくり歩く。下手にライトを点灯すると、犬の視力を奪いかねない。自分で暗闇を見ようとすることより、犬との信頼関係と呼吸を大事にしている。リーシュはこのために軽くて伸びの少ないダイニーマ4o。犬からのアタリがわかりやすいようにハーネスではなくカラーを用いる。日中の林道・作業道で目をつぶって練習を積んでは来たが・・・・・三日月以下の暗い夜では、訓練を放棄しヘッドライトについ手が行ってしまうこともある。犬との信頼関係がまだ不十分なためかも知れない。
生粋のクマ撃ちならば、銃なしでも同様の作業をこなすだろうし、そういうクマ撃ちを私も何人か知っている。しかし、残念ながら、最も懸念され対応が厄介な夜間、このエリアの猟友会ハンターではまったく機能しない。それが今どきの普通のハンターだろうし、猟友会に依存しきった行政は、夜間対応を無視している。不都合な真実。完全におかしくなった異常グマなら、恐らく日中、いくらでも射殺するチャンスがあるだろう。しかし、明日にも出現しそうな、中途半端に悪い学習をした夜間出没型の若グマの場合、例の「箱罠」くらいしか打つ手がない。
私自身はアラスカのタイガで食糧確保から護身まで銃に頼って何でもやってきた。しかし、もし今、ヒグマ対策で高性能な銃と訓練された優秀な犬のどちらかを選べといわれれば、恐らく犬を選ぶ。銃器は殺傷能力は高いが、使える条件がかなり限定されることに加え、用途があまりに特化しているため、本当のバックアップ以外に利用法がないからだ。対ヒグマリスクマネジメントで銃器は必須だが、クマ対策の本質はそこにはない。
初対面でもヒトは好きらしい。雄ジカは手頃な遊び相手らしい。仔熊はどうやらお友達らしい。
単なる遊びのように見えるが、ヒトや他犬への親和性、山での危険認知、そしてヒグマへのモチベーション。どれもベアドッグにとって必要な要素ではある。
※興味のある方は「ベアドッグによる追い払い」、こちらへどうぞ。
デントコーン周りと内部の調査
ときどき、どうしてもタイムリーに確認したくなることがあるが、山林のクマ道の探索(糞などの確認)や降農地グマの日中の退避場所の特定、それに特に被害ピーク時のデントコーン周りおよび内部の調査に関しては、(通常の)行政・ハンターにはお勧めできないし、お願いもできない。実際、被害時期のデントコーン周りは、どこからヒグマが飛び出るかわからず、訓練を積んだベアドッグ二頭を連れていても緊張と集中を欠けない。といっても、別に私を襲うためクマが飛び出たことはないが、私が臆病なため、夜間とこの時はベアスプレーを腰から抜いて右人差し指に引っかけて歩くクセがついてしまっている。
E.オオカミの尿
河川への有効な電気柵設置は技術的には可能だが、管理者から許可が下りなかった。電気柵の開いた武利川沿いにヒグマをどうやって接近させないかが問題だが、張り込みやバッファスペースに加え「オオカミの尿」をテストしている。これはあくまで補助的な位置づけだが、ペットボトルに入れたオオカミの尿の原液をスズメバチトラップと同じ方法で要所に設置した。この尿は本州のある理解者がここのヒグマ対策のためにオオカミの排泄のたびに尿をこまめにスポイトで吸い取って集めてくれたものだ(写真左)。
2011年には市販化されている野生動物対策用のオオカミの尿「ウルフピー」(商標)を観光課で揃え、随所に設置した(写真右)。
オオカミの尿はシカ・イノシシ・ツキノワグマには効果的だといわれるが、ヒグマに対して効果は検証されていない。が、2010年〜2012年、電気柵の弱点をカバーしてくれている観があり、効果の感触はいい。尿より糞が効果的と聞きつけ、場所によって狼犬の糞を置いたりもしている。
ヨーロッパ、ユーラシア、北米そして北海道と、ヒグマとオオカミの生息地は非常にクロスしている。北海道には3系統のヒグマがあるとされるが、どのタイプも適者生存(進化)はオオカミの生息地でなされてきたはずだ。オオカミとヒグマは共存してきたと言うこともできる。北海道からオオカミは消えてしまったが、遺伝子に深く刻まれた記憶としてヒグマがオオカミの存在を本能的に忌避することは、十分考えうる。ヨーロッパや北米のハンターは靴にオオカミの尿や糞をつけてヒグマから身を守るという話を聞いたことがあるが、それが単なるまじないの類でなければ、これらの方策も決してバカにできないように思われる。
試しに、最もオオカミの血の濃い現在育成中の3頭目のベアドッグをパトロールに同行させてみると、道路脇のオオカミの尿に確実反応し、周辺にオオカミを探すほど執着した。我々にとっては他愛のない液体だが、自然界で適者生存を果たしてきた野生動物にとっては特別な意味のあるものなのかも知れない。
ピー関係で付け加えれば、2011年10月、オスのベアドッグのマーキングをクマ道に施し、センサーカメラで通過するヒグマの反応を確かめた。現れたオスの若グマ(推定5歳)は、その場所を何度も往き来しながら非常に警戒する行動をとった。しかしながら、ベアドッグ(狼犬)のマーキングだけでそのルートを放棄するまでには至らないことも確認できた。狼犬の尿は、バッファスペース同様、合わせ技の一つの有効な手段という位置づけになる。
F.周辺への軽率な箱罠設置を廃止
a.ヒグマの誘引防止・過剰反応防止(周辺の安全対策)
b.trap-shy発現の可能性を最小限に抑える(必要な捕獲判断をしたときに最大限に使う)
先年まで、行政によってこの観光エリアにも漫然と箱罠が仕掛けられていたが、先述のように、様々なタイプの観光客が周辺を歩くため、確認されただけでも、「不用意に箱罠ににわかに接近してしまう釣り人」「箱罠の近くで犬を放しお弁当を広げるファミリー」あるいは「興味本位で箱罠に近づく子供たち」があった。このため、この観光エリアへの箱罠設置は控えてもらうよう要望してきたが、2012年、鳥獣行政サイドの理解が得られ、このエリアにおける軽率な箱罠の設置は回避された。
箱罠のリスクは多岐に渡るが、それらの点を丸瀬布の鳥獣行政担当者は配慮して「いこいの森」周辺での箱罠の軽率な使用を中止したものと理解する。私としては、捕獲の必要な個体を的確かつ早期に把握することが最重要と心得て注意深く一頭一頭のクマを観察・分析・判断するよう、2012年も努めた。「罠にかかったクマを殺しておく」「見かけたクマを射殺しておく」このようなスタンスでは、本当に危険な個体の前兆行動を感知し得ないため、視点の改善を必要としているように思う。
防除と駆除の構図
上写真は鬱蒼と草に絡みつかれた電気柵と、その脇に設置された箱罠。この箱罠は農協が仕掛けたものだが、誘因餌にシカ死骸が仕込まれつつ、注意看板ひとつ無く公道脇にかけてあるので危険。電気柵のメンテナンスがこれで箱罠の設置となれば、まったく意味不明だが・・・これが残念ながら私の町の現状ではある。被害防止の普及を進めなければと思う。が、これを漫然と容認している道庁があるから、道庁指針『北海道鳥獣保護事業計画書』など、「あんなものは無視すればいい」というルーズな認識が津々浦々に広まってしまったのではないだろうか? これは現場だけで、おいそれとどうこうできる問題でもないような気がする。
つい長い名の指針を出したが、これは環境省告示2号経由で根拠法を鳥獣保護法とする「ルールブック」のようなもので、野球やサッカーのルールと同じく別に違反しても法で罰せられるわけではない。が、駆除という行為を行う根拠となる枠組みでもあり、基本的に守るべきものと私などは自然に認識しているが。
※例えば、
『第10次北海道鳥獣保護事業計画書』
第4 鳥獣の捕獲等又は鳥類の卵の採取等の許可に関する事項
3 鳥獣による生活環境、農林水産業又は生態系に係る被害の防止を目的とする場合の許可基準
(4) 有害鳥獣捕獲に係る許可基準の設定
ア方針
有害鳥獣の捕獲の許可は、被害等の状況及び防除対策の実施状況を的確に把握し、その結果、被害等が生じているか又はそのおそれがあり、原則として被害等防除対策を講じても被害等が防止できないと認められるときに行うものとする。(抜粋)」」」
現在では、ヒグマの防除方法というのは確立していて、いわゆる「ヒグマ用電気柵」で農業被害はほぼ防げる。それを前提に上の許可基準をヒグマで言い直せば、「原則、ヒグマ用電気柵がしっかり運用されているにもかかわらず、被害が生じる場合にのみ捕獲を許可します」ということになるし、逆にいえば、「ヒグマ用電気柵を張ってもいない場合には、捕獲は許可できません」と、道庁は公明正大にルール宣言していることにもなる。ところが現に上写真のようなことが平然と当たり前のようにおこなわれている。もし仮に、ルールをつくった張本人が裏のほうでこっそり「あんなの守らなくてもいいですよ」とあちこちに告げているならば、紛らわしいルールなど作らないほうがいい。現場が混乱するだけだ。 |
3.注意喚起と情報の共有 ※ヒト側への対策
A.「ヒグマ生息地」の看板設置(近隣の林内・山間部に関して「ヒグマ出没」からの変更)
私の調査でも、6月〜10月、町道沿い・町有林で200〜300件のヒグマの出没認知が確認される。一日あたり5件前後ということになるが、この出没に対して鳥獣行政担当者がすべて確認に出向いて「ヒグマ出没」の看板を設置するのは困難でもあり、実質的に人里外はヒグマの出没というよりは恒常的生息域となっているため、従来「ヒグマ出没注意」とされてきた山間部(人里外)の看板を、「ヒグマ生息地」に切り替える提案をおこない、鳥獣行政担当者の協力も得て実現した。
鳥獣行政担当者は約半年間で300近い生息地のヒグマ対応ではなく、あくまで人里内に降りて来る問題個体に集中してもらい、「○月△日ヒグマ出没」の看板設置、あるいは駆除・追い払い等によって対応することが期待される。
また、遠軽町・丸瀬布を訪れてくれるキャンパー・観光客に対して、より実像に近いヒグマの普及啓蒙活動が可能となり、長期的な効果も期待できる。
B.ヒグマに関する普及啓蒙パンフレット
「いこいの森」周辺に設置してもらうためのヒグマ対応パンフレットは2004年に書かれたが、その後調査とともにこのエリアに最適化した内容に向けて改訂を重ね、2009年版が「いこいの森」「温泉やまびこ」などに冊子として置かれてる。
C.観光エリアの「ヒグマ対策連絡会」発足
2011年まで、「いこいの森」および周辺の対ヒグマRMは着実に進んできたが、この地域のもう一つの観光施設「マウレ山荘」との連携が取れておらず、たびたびそこが対策の破れとなって現れた。2012年は「いこいの森」周辺のデントコーン農地に農水省枠の助成金が降りクマ用の電気柵も張られる見込みとなったため、このエリアのヒグマ問題は解消へ向かうと思われた。ただ、これまで農地に降りていたヒグマが電気柵に阻まれ武利川沿いに右往左往すると予測されたため、急遽、観光エリアの各機関の連携を目的にした「ヒグマ対策連絡会」を提案し、ヒグマの降農地直前の7月に実現した。
また、遠軽町が推進している「白滝ジオパーク」のジオサイト、ジオツアールートが、この観光エリアに点在するため、「白滝ジオパーク」を扱うジオパーク推進課にも参加を求め、合流が実現した。
「いこいの森」「マウレ山荘」「白滝ジオパーク」からなるヒグマ対策連絡会が、太平高原〜いこいの森〜山彦の滝近隣の観光エリアのヒグマ対策の中核となりうる。
また、この観光エリアのヒグマ対策は、観光部署だけでは合理性を確保できないため、鳥獣行政も含めた情報共有あるいは総合的対策を議論する場とすることを確認。
2012年におこなった、2回の会合(7月・9月)では、丸瀬布総合支所(観光担当)、マウレ山荘(支配人)、遠軽町農政林務(鳥獣行政担当)、丸瀬布総合支所(鳥獣行政担当)、丸瀬布総合支所(産業課)に加え、一応ヒグマ専門家として岩井が参画した。
特に近年の「いこいの森」キャンプ場、マウレ山荘に宿泊する来訪者の活動形態とこのエリアのヒグマの動向・性質などを連絡会内で再確認し、パンフレットの最適化を図った。
配布・設置先:いこいの森センターハウス
温泉「やまびこ」
マウレ山荘
白滝ジオパーク交流センター
(←画像クリックでパンフpdfが開きます)
どんでん返し
蓋を開けてみると、クマとシカの防除として助成金の申請をおこなったはずが、クマ用の防除はメンテが面倒という理由で敬遠されシカ用の電気柵の設置方法がとられた。それでもメンテさえすれば訪れたクマの半数ほどは不用意に触れて電撃をもらい電気柵を忌避するようになるだろうと希望的観測で穏やかに構えた。が、メンテナンスは待てど暮らせどおこなわれず、ヒグマの降農地時期には、草に絡みつかれた電気柵はほとんどただのヒモになり果てていた。当然、予想されたヒグマの右往左往は起きず、例年通り毎日山とデントコーン畑を往き来するクマが何頭も出た。調べてみると、電気柵の電圧は1000V以下。これじゃあダメだ。「クマさんどうぞ掘ってお入り下さい」状態だ。メンテを待つのをやめ、クマが掘り返した跡から中に入ると、案の定、新旧様々派手な食害跡が広がっていた。
この電気柵の設置方法とメンテでは、このまま周辺のヒグマが柵下の「掘り返し」を効果的に学習、固定化し、年々この電気柵破りが地域に蔓延していくだろう。ともすると、完璧な形で運用されている「いこいの森」の電気柵の下を掘り返して侵入してくるクマさえ現れかねない。
責任の所在はともかく結果的に、「100億・100%」といわれる農水省補助の血税電気柵で、このエリアのヒグマ防除は明らかに困難化し、人身被害の危険性が増すシナリオが降ろされたことになる。
課題と今後
2004年前後からはじめた調査・観察をもとに繰り出した対ヒグマの方策は効果的に働き、目標としたヒグマの移動ルート・時間帯そして性質の制御はおおむね成功し、起きることがらもまずまず想定の範囲内に収められている。今後、ヒグマの把握と教育などについて精度を上げる必要はあるだろうが、課題は何と言っても、この観光エリアを訪れる人への情報開示・注意喚起・普及啓蒙と、農家・猟友会を含む関係各所へ理解をどう促すかだ。
「いこいの森」の安全確保のために導入した電気柵でさえ、「クマには利かない」とこの地域では広がっていたため、当時の観光担当者の努力と風当たりは相当だったと想像する。つまり、ヒグマ側の変化が思ったより急で地道に説得する時間を持てない現実もあって、時にはかなり強引に事を進めてきた感がある。
現状として、周辺の農家は、キャンプ場で物産を売っているわりには、肝心の観光客やキャンパーの安全性に配慮するところにはまったく意識が来ておらず、シカ用電気柵のメンテも「行政がやれ」の声が上がってきている。また一部のハンターは電気柵を「邪魔だ」「無駄だ」と切り捨て、ましてや、道端の若グマの追い払いなどをしようものなら、正直なハンターからは「クマが出なくなるからやめろ」とお叱りを受ける状況だ。もちろん、人前にフラフラと出てこなくするのが目的なので、私としても「はい、分かりました」とはならない。
このエリアは酪農地帯だが、ここの農家は基本的にデントコーンのヒグマ被害などあまり問題視していない。困っていないのだ。それで、防ごうという意識がほとんど湧かない。上述のように血税の100%助成で電気柵をタダで手に入れても、「草刈りが面倒だ」とう理由でクマに利くような低い張り方を避けてしまうのもそのためだ。ただ、気分的に不愉快なのか、やはり自助努力はさておき、行政に「何とかしろ」と話を持っていく。行政は「何とか」といわれても、猟友会にお願いして捕獲するくらいしかやることがないので、「箱罠でも置いとくか」程度のノリで簡単に箱罠設置となる。
依頼される猟友会は猟友会で、これまで行政は捕獲一本槍で猟友会頼みの有害鳥獣対策をおこなってきたので、ヒグマ対策が一種既得権益化しつつ、異動でやって来る一般職の鳥獣行政担当者の首根っこを次々に掴んで主導権を握っているような状況がある。担当者が駆除の考えやルールを説明し「このようにやってください」とお願いしたところで、猟友会の古参幹部が「そんなはずはない」とひとこと返せば、それ以上行政はものを言うこともできない。実際にちょくちょくあるが、気に入らないことを行政が言い出せば、「じゃあ俺たち、シカもクマも全部やめるべ!」となり、これを言われては、鳥獣行政としても青ざめるわけだ。それで、一部の駆除ハンターは、朝もまだ暗いうちから国有林の奥までクルマで入っていって、単に林道から見える場所でフキを食べている若グマや偶然樹に登っているクマを見つけては射殺している。
こういうことは、猟友会の体質というか、その支部なり部会なりの年長者リーダーの資質と力量にかかっていて、特にクマ撃ちとして長年ヒグマに関わり真剣にやって来たリーダー格がいると、上のようなことはまず起こらないし、仮に身勝手なハンターが暴走したところで、猟友会の自浄作用が働いて身勝手は長続きしない。
もちろん、例のルール(指針)からすれば、これらの箱罠や山の射殺は、現在の北海道の駆除ではあり得ない行為。それがあたかも当たり前の如く毎年おこなわれている。遠軽町における近年の異常な捕獲数40というのは、じつは指針破りが恒常化した状況ではじめて出てきている数字であって、ルール通り適正にヒグマの有害捕獲をおこなえば、その数は1/10以下に減るだろう。つまり、ヒグマの駆除の90%以上は、不適正な独自の「遠軽ルール」でおこなわれ続けている。主導権は猟友会や農協にあり、別に行政がやりたくてやっているわけではない。指針を作った張本人の道庁・自然環境課は、何故かそれを知りつつ容認し、ときに後押ししている構図だ。どうも、これまでの既成事実があるからルールは守らなくてもいいということらしいが、それでは、対ヒグマの防除など一向に進むはずはないし、被害も減らない。実際に、遠軽町の捕獲数は40頭前後だが、ヒグマの防除柵の普及率は、「いこいの森」を除けば0%だ。普及も何も、この10年間、ずーっとゼロ。捕獲数と被害額だけ景気よくうなぎ登りだ。道庁もそろそろ目を覚まして欲しいが、まさか、ここをルーズに放置したまま渡島半島の「ヒグマ保護管理計画」を道内に拡張するつもりではないだろうな・・・それは大いに困る。
では仮に、これまで通り「防除ナシの捕獲一本槍」でいくとして、
「観光エリアの夜間対策はどうしましょう?」とさりげなく聞いてみる。すると、どこからも答はない。行政は苦渋の表情で押し黙り、猟友会はそ知らぬ方向を向く。
丸瀬布の人口は現在1700程度、うち農家は10軒ほどだが、夏になると、市街地から10q離れた「いこいの森」に全人口よりも多いキャンパーが毎日テントを張って宿泊し、ヒグマの生息地の真ん中でバーベキューやら深夜のカブトムシ拾いをおこなっている状況だ。ここのヒグマ対策をおろそかにする理由なんてどこにもないはずだ。押し黙ったり知らん顔している場合じゃない。
行政の肩を持つわけじゃないが、昨日まで管財課にいたような若者に酷な要求はできない。そして、これまで、クマと言えば自動的に猟友会による捕獲くらいしか切れるカードを持たなかった遠軽町の行政のみを、仰々しく責めることもできないだろう。しかし、状況に応じて行政が臨機応変に切れる有効なカードさえしっかり提示できれば、何かが変わるかも知れない。もしかしたら、「やっぱり人里にはクマは歩き回っちゃいけないよな」「防除をしてみよう」「引き寄せないようにしてみよう」と思う人だって、出てくるかも知れない。
ここに書いてきたあれこれは、観光客の安全を確保する合理的方策であるとともに、行政に示される新たなるカードだ。これらのカードを「よし使ってみるか」と受け入れるか、それとも拒否して破綻間近の猟友会依存の捕獲一本槍を続けるか、その判断はすでに行政側に委ねられている。
こんな混沌とした状況下で「ヒグマ対策連絡会」は立ち上がったが、できるだけ早い段階で農家・猟友会にも合流してもらい、協議の場としつつ広く合意の形成ができたらと願う。
模索と試行
これまでの活動の精度を上げる以外に、今後予定される取り組みには次のものがある。
1.ヒグマ対策の多目的やぐら(通称/熊見やぐら)の設置
これにはヒグマの監視、泊まり込みに加え、万が一のときの、ハンターのための俯角をもった射座の機能も持たせる。床の高さは6m前後、三畳程度。後者はもちろんベアドッグによるヒグマの誘導技術とセットになる。
2.「後天的忌避剤」(カプサイシンと電撃の関連付け)のテスト
先述のように、先天的な忌避物質を「オオカミの尿」でテストしているが、そこにもベアドッグである狼犬との関連付けをおこなっている。しかし、学習能力の高いヒグマに対しては、むしろ後天的忌避物質が合理的で十分機能するはずだ。その物質には、ここ数年テストしてきたカプサイシンを用いることとした。
電気柵の防除テストから、ヒグマが高圧電流のつくる電磁波(電界)を感知している可能性があるが、後天的忌避物質としてのカプサイシンテストは、ヒグマの電磁場感知能力のチェックをしながらのテストとなる。 効果が得られれば、電気柵の弱点や他のワンポイント防除に応用できるだろう。
3.監視・警報・撃退システム
これまで、ヒグマの動向変化を捉え、電気柵の開いた武利川沿いにクルマで泊まり込み、ベアドッグの感覚も頼りに接近したヒグマを感知し追い払うようにしてきたが、これはあまり継続的に安定してできる最も合理的方法ではない。監視と警報をセンサーとカメラに置き換え、広範囲に設置するのが一番いい。
GPS電波発信機は装着個体の位置情報を知るには便利だが、非装着個体の侵入があるため局所的エリアのRM用には必ずしも適さない。捕獲から始まる労力・経費が甚大となり、また、ここでは個体の入れ替わりが比較的規則正しく毎年起きるため、センサーによる警報とカメラによる監視を併用したシステムを模索中だ。
現在、デジタルセンサーカメラの一部では、動物を感知してとらえた映像を無線で飛ばすことができる。2011〜12年は、いくつかのヒグマのルートを事前の調査で把握して、それぞれのルートにセンサーカメラを設置したが、追い払い等をおこなうことによって、同じ年の同じ個体でも、ルートを少しずつ変える。また、このエリアではヒグマの移動ルートコントロールが一定レベルで可能とわかってきているので、シーズン通して移動しない定点カメラを20〜30台要所に設置し、その情報を「いこいの森」センターハウスに飛ばす知恵を絞っているところだ。もちろん、ただのセンサーではかかった相手がクマかシカかも判らないので、映像による確認が必要だろう。ただ、カメラ1台に対してセンサーとブラックLED(視認できない波長(940nm)のLEDライト)を複数用い、広範囲に情報を収集することは可能だと思う。
ヒグマが好ましくないルートで接近していると感知できた場合、センサーに反応して作動する音や光・動作の機器を用いてルートを変えさせるとともに、ベアドッグを用いて正面からの効果的な撃退ができるだろう。
今のところ、信頼できる自動撃退に関しては模索中で、もう少しテストや観察を要する。
4.ベアドッグの訓練場を移設
電気柵の開いた武利川が侵入防止の鬼門となっているので、その周辺に、ヒグマに巧くストレスをかけられる形状でベアドッグの訓練場を移設し、ヒグマの降里時期、常時ベアドッグがそこに存在するようにする案がある。訓練場は20×30m程度、高さ225p以上のシカ用ネットフェンスで囲うが、現在の訓練場にヒグマがまったく接近していない事実からも、効果は見込める。夜間はベアドッグのハンドラーが駐在し、必要なときには即出動できるので合理的で、かつ案外、費用対効果は最もいいかも知れない。
5.野生動物対策のNPO
この地域の問題点は、一言でいえば「防除の遅れ」だろう。北海道どこでもそうかも知れないが、ヒグマ用電気柵の普及と同時に、そのメンテナンスを年間委託できる担い手が必要に感じる。述べたように、ヒグマが侵入しているシカ用電気柵のメンテナンスには危険が伴い、防除放棄の悪いスパイラルに陥っているようにも感じる。ヒグマの調査、追い払い、防除(電気柵運用)、対応判断、そして捕獲。この5つを一元的にしっかりできる団体の必要性は高い。
ハンターの高齢化とか空洞化・減少はあちこちで言われるが、捕獲の前に、問題自体を減らす努力をしなければ、問題数が今のままならどのみち猟友会依存は破綻する。事前に問題を減らし、また対応判断をするのがヒグマの専門家の役目だろうが、これに関しては高齢化・減少どころか存在自体が皆無だ。最低でもここに書いてきたレベルの対策を担う若手を育成する上でも、運営が安定したNPOは理想的だと思う。
正直言って、この作業はボランティアでやるような作業ではないし、下世話に言えば、若手が食っていけるような土台をつくってやらねば、今どきの賢い若者の多くは進んでこんな火の中には飛び込まないだろう。
この地域のクマ対策の状況は述べてきたが、シカも、そして近い将来アライグマも問題になっていくことが予想できるため、有害鳥獣対策のみならず野生動物全般を扱う軸として町に必要とされればいいが、なかなか運営は難しそうだ。まだまだ先は長そうだ。
「いこいの森」は道内で最も安全なキャンプ場
さて、ここまで「いこいの森」周辺の対ヒグマリスクマネジメントの一部を紹介してきたが、ある人は思うだろう、「近くにそんなにヒグマがいるようなキャンプ場は危険だ」と。しかし、それはまったく逆だと思う。確かに、ヒグマが周辺の山に存在するからこれだけのマネジメント(管理)をおこなっているのだが、道内でヒグマが近隣に存在し得ないキャンプ場というのはほとんどない。私自身、学生時代より道内を巡り歩き、各地のキャンプ場に世話になってきたが、キャンプ場内に人知れずヒグマの痕跡が残っていることが何度もあった。ちょっと目が慣れた人が近隣を歩くと、すぐヒグマの痕跡など見つかるはずだ。
北海道では、例えばキャンプ場から1q地点に1頭のヒグマが偶然目撃されただけで「閉鎖」になったりする。そのとき、だいたいとられるのはお決まりのパターンで、銃を持ったハンター呼んでパトロールとか、その程度だろう。あれほど事なかれ主義で危険な行政もないと思うが、その目撃された1頭は、おおかたの場合、10頭いるうちの1頭だったりする。そしてまた、「閉鎖」もほとぼりが冷める頃解除し、その後、周辺のヒグマの活動を把握しようとか、そこで得られた情報から合理的な対策をとろうとは動かない。が、そんな中で、特に近年は、おそらく皆さんが考える以上にヒグマは多く身近に活動している。
仮にたった3頭しか近隣の山に生息していなくても、そのヒグマの性質(学習)が悪ければ、危険度は上がってしまうだろうし、それなりに多くのクマが活動していても、把握と対応がきっちり合理的にできていれば、さほど危険な状態は生まれない。
キャンプ場だけではない。この秋の札幌市のうろたえようを見れば判る。「把握せず、対策をとらず」では200万都市に迫る大都市札幌でさえ、ちょいと若グマが歩いただけで大騒ぎ。効果的な手を迅速に打つこともできない。近隣の山が豊かで魅力的であればこそヒグマの生息数は多い。そのヒグマをできる限り正しく知り、しっかり把握し、人身被害防止をあくまで重要視して、ときに積極的にヒグマの側の性質や行動の制御をおこなうスタンスのほうが、はるかに安全な方法論ということができる。
ただ、札幌市で出没グマを射殺して終わりにしようとならなかったところは評価できる。偶然の1頭を殺したところで、合理的に把握と対策をおこなわない限り、遅かれ早かれ同じようなことが起きるに決まっている。
カナダの公営キャンプ場に滞在していて、テーブルで昼食のベーコンエッグをのんびり食べているとき、メインストリートをまっすぐ歩いてくる若いヒグマ(グリズリー)を見たことがある。発見した距離は50mほどだった。こういう目撃は、そんなに珍しいことではないらしい。そこからアラスカに入ると、キーナイにせよビッグスーにせよ、ヒグマが現れ得ないキャンプ場など存在しないし、多くの人はヒグマの性質と危険性を北海道の人より正しく知っている。つまり、ヒグマというのは単に存在することが危険であるというよりは、悪い学習をさせることで危険な存在になる。ヒトはヒグマを過度に恐れず、注意すべきところをしっかり注意するのがいい。それ同様のことを若グマに教え込み、お互いに一定の距離をとって活動するのが理想的だ。
知床では、子供たちを連れてベアカントリー(ヒグマの生息地)でキャンプをする体験学習があると聞く。もちろん、この引率にはベアカントリーのエキスパートがあたる。知床では、一日ブラブラすると、運がよければ2頭や3頭のヒグマを目にできるほどヒグマが普通に存在する。いわゆるヒトに慣れた「新世代ベアーズ」というやつだが、そういう場所で煮炊きをし、テントに泊まる子供向けの体験学習。恐らく、「そんなキャンプ場は危険だ」と「いこいの森」を思った人は、この知床の体験学習など自殺行為にしか思えないのではないだろうか? しかし、この体験学習でヒグマが原因で怪我をした子供もテン場(野営地)をウロウロと徘徊したヒグマも、かつて1人・1頭もいない。恐らく、今後も出ないだろう。
ヒグマが存在することを過度に危険視するくらいなら、一定のスキルを正しく実践した上で、現実的に本当に危険なスズメバチ・河川・重力あたりをマークしたほうがよほど合理的思考だと思う。「いこいの森」にはスズメバチを熟知した昆虫の専門家がおり、ヒグマに対しても北海道では1歩も2歩も進んだ情報収集と対策に乗り出していると思う。道内のキャンプ場から対ヒグマリスクマネジメントに関して視察に訪れるほど。弱点となっている情報開示と普及啓蒙に関しても、今後しっかり進めていくだろう。
誤解なく、機会があれば「いこいの森」をワクワク気分で訪れて欲しい。連休・お盆などは混雑するからちょっとお勧めできないが、混雑さえ避ければ初夏も秋もなかなか素晴らしい環境に囲まれている。クマに絶対に関わりたくなければ、広い「いこいの森」内で十分楽しむことができる。昼も夜も、そういう安全な空間作りが「いこいの森」ではめざされている。東西の電気柵の前に立てばその向こうがヒグマの生息地、ベアカントリーだ。そのラインからこちらにヒグマが侵入してくることはないが、ヒトはベアカントリーに入ってもいい。スキルと準備を整えて裏山を歩けば、意外と普通に安全なシチュエーションでクマを見かけるかも知れないが、決して慌てることはない。普通にしていれば、おそらくそのクマは「失礼しました!」とばかりに立ち去るはずだ。これまで「いこいの森」周辺でクマに合った人は、不思議なことに誰一人恐怖を口にしない。「生きているうちに野生のヒグマが見られるとは思わなかった」「ここに来てよかった」「これで明日死んでもいい」と、喜び勇んでそのことを話す。明日死んでもらっちゃ困るが、ヒトとクマが程よい緊張感をもちつつ、ありがちな切迫状況に陥った人がいないのだ。「恐れすぎず、舐めてかかることなく」というヒグマの性質コントロールが、ジワジワと予想外にヒグマの側にうまく利いているのかも知れない。
「周辺の山は、ヒグマの生息地」―――看板に記したこの事実は、必ずしもネガティブにとるべきことではないように思う。
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