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浦幌町は十勝地方の東部、帯広と釧路の中間付近にあり、阿寒湖から南に延びる白糠丘陵の南端に位置する。十勝川の支流・浦幌川を囲むように南北に長く、中央部の川沿いは農地、その両側は森林に囲まれている。市街中心部は国道38号線沿いにあり,通過したことはあるが、立ち寄ったことはない,そんな町かもしれない。そういう浦幌で、当時東大に在籍していた私や北大ヒグマ研究グループ(クマ研)のメンバーがヒグマの調査を始めたのは1998年のことだった。
浦幌で調査を始めた理由は,@1990年代に個体数が増加し,ヒグマの生態にも影響を与えはじめていると思われたエゾシカが高密度で分布していること,Aヒグマによる農作物被害があること、そして何より、Bヒグマの生息地である森林の管理者やその周辺地域がヒグマの生態調査を受け入れてくれること,の3つの条件にかなう点だった。浦幌には十勝森づくりセンターの事務所があり、森づくりセンターが管理する道有林と、その周辺の浦幌町の農家が、ヒグマの調査を受け入れてくれた。
実は、浦幌での調査を始めて1年ほど経ったころ,クマ研OBの青井俊樹(岩手大教授)、梶光一(東京農工大教授)両氏から,1978年に,浦幌でヒグマとエゾシカの痕跡調査をしていたという話を聞いた。
まったく知らなかったので驚いたが、さすがに優れたフィールドワーカーの2人は,調査日誌や糞分析の記録をちゃんと残していた。当時の調査日誌やクマ研が発行する「新ひぐま通信」をひも解くと,当時の浦幌の様子がまったく違うのがわかった。
例えば、エゾシカの調査地を探していた梶の日誌には,踏査中に発見したエゾシカの足跡を計測したデータや,足跡の数を数えた様子が残っている。今,浦幌ではシカの足跡のないところを探すほうが難しく,足跡を測ろうなどという気にはとてもならない。いかにエゾシカの密度が急増したのかがわかる。
何より驚くのは,ヒグマの痕跡密度の違いだ。1979年発行の新ひぐま通信6号には,深沢和基による「浦幌ヒグマ遭遇記」という記録があり,その中に「夏期には,1日に数10個のフンが採集されていたので…」との記述がある。1980年発行の新ひぐま通信7号の「クマ研活動秘話−青井氏に聞く−」には,「浦幌での調査のこと」という節に,1週間で100個余りのフンを拾ったことが述べられている。今ではとても考えられないことだ。
この1978年の調査データとの比較研究から,20年間で浦幌地域のヒグマの密度が大きく減少したこと,食性も変化し、農作物に依存するように変化したこと,エゾシカを食べ物として利用する割合が年間を通じて高いこと,箱ワナの利用により、駆除数は生息密度が高かった1970年代を超える水準にあることなどが明らかになった。
これはテレメトリー(電波追跡)調査や痕跡調査によっても裏付けられていった。現在は,なぜ生息密度が低下しても出没がなくならないのか,駆除を続けても農業被害が減らないのか、という点について、DNA解析による個体識別も交えての研究が中心課題となっている。
こうしたヒグマの生態研究と同時に,農業被害の実態やクマを殺さないで済む(非致死的)被害防止対策,普及啓発活動など、さまざまな研究が行われるようになってきた。
私(佐藤)が博士課程を修了し,日大に教員として移ってからの浦幌の調査は,若手研究者が農家跡や町営住宅を借りて住み込むスタイルから大きく変わった。地元の方々と作った「浦幌ヒグマ調査会」という団体が調査拠点などのインフラ面を支え,そこに日大の学生や大学院生,北大クマ研,調査会メンバーらが調査をしに来るようになった。いわば、地域と一緒になっての手弁当型の調査が続けられることになった。
これまでに浦幌の調査には、日大,北大,帯広畜産大,北海道教育大などの学生が参加した。学生に限らず、その友人・親兄弟やフリーターなど、興味のある人ならだれでも調査に参加してもらうという、門戸の広いスタイルで続け、参加者はまもなく300名に達する。テーマはヒグマの食性,行動圏,生息地評価,背こすり行動,分散・繁殖行動など多様な生態調査,農作物の被害実態や電気柵・草刈りを併用した被害対策の効果検証など、基礎調査から対策方法の検証まで幅広い。
地元町役場や猟友会,農家の方々との交流も着実に裾野を広げている。小中高校・大学などへのクマの出張授業や,一般向けの講演会,被害農家向けの説明会,クマ解説小冊子作成,ニュースレター発行などを通じて普及啓発活動にも力を入れてきた。これまで10年間の活動の記録や成果物は,2009年発行の浦幌町立博物館紀要第9号にまとめられている。
今後の浦幌フィールドはどうなっていくだろうか。2009年春はヒグマの出没が極端に少なかった。例年6月から始まる有害駆除も,まだ気配がない。ヒグマの生息密度はさらに低くなっており,それでも農作物被害が減らないという悪循環に陥っている可能性がある。浦幌のヒグマの将来をどう考えるのか,どのようにマネジメント(保護管理)していくべきだろうか。
それは、できれば浦幌に暮らす人々に考えてほしい。私たち「浦幌ヒグマ調査会」は、そのための考える材料を提供していきたいと考えてこれまでやってきた。こうした地元発のヒグマ対策・管理が実現すればすばらしいが、なかなか難しいのも現実だ。地域の人たちが危機意識を持つのに十分なデータを提示できるのを待っていたら、遅すぎるかもしれない。ここは北海道庁に指導力を発揮してほしい、と考える部分でもある。
私たちもヒグマの生態や電気柵の効果を調べるだけではなく、その成果を地域や行政に対しても還元する努力をもっと積極的にしていく必要があるだろう。また別な視点では、浦幌に限らず、クマ類やそれを取り巻く環境を理解するための生物学的知見がまだまだ不足しているとも感じている。
浦幌では,長期的視野を持ち,基礎的な情報収集と発信を続けていくことが重要だと考えている。予算の裏づけが乏しくても,行政依存ではないからこそできる研究がある。北海道のヒグマと人間を取り巻くさまざまな問題に科学的な情報を発信できる調査地であるよう,今後も調査・研究活動を続けていきたいと思う。(佐藤喜和)
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